6月22日(日)
落ち込みそうな予感がする時、あるいは落ち込んだ時は間髪を入れず、楽しいことを思い浮かべる。ベテランの?年寄りなら誰でもやっていることだと思う。
意識は自分で作っているわけだから(多分)マイナスイメージの意識を過剰に増幅しないためのコツだと思う。要はバランスの問題だ。プラスイメージで意識を作っていくという意味では、もちろんない。👌マイナスイメージにはそっと蓋をして静かにしていてもらう。
絵を楽しむ人たち、音楽が好きな人たち、スポーツを楽しむ人たちとご縁を作りたい。自分が好きなことを通じて地域力を増やすきっかけになればいいなと思っている。
心おきなく楽しむために…本当に聞きたいのは…食べられなくなったらどうしますか?
まぁこんなことをいきなり聞かれて、すんなり答えられる人は少ないかもしれない。
一方、少し前にウェルピアという堀切のボランティアセンターで開かれたある集まりのことが記憶に鮮明に残っています。
エンディングノートの書き方。そんな地味な講座に、かれこれ50人ぐらいが集まっていらっしゃいました。
エンディングノート…僕も昔取り寄せて、いざ書き出そうと思ってストップしました。
既に自分スタイルがある程度出来上がっていたからでした。
仮に外で頓死したとしても、連絡先メモは財布にしのばせてあるし、尊厳死協会の覚書のコピーも常持している。遺言は、つとに書き記して公正証書にして貸金庫にしまってある。
後は死ぬだけ…とたまに冗談を言っているのはそういう意味です。
それでも僕は改めて後期高齢者としての暮らしを今後の変化も含めて、ある程度整理して、現在はこう考えているということを書き記してみようと思いました。それが何よりも、余計なことですが、他の方の何らかのサンプルになればいいかなぁと思いついたからです。
さて、先程の問い。食べられなくなったらどうしますか?
僕は僕なりの決め事がありますが、今は公開しません。
食べられなくなったからといって、胃ろうはやめて欲しい、、なんて細かく書き出すとなると結構大変ですが医療従事者にとってはぜひとも欲しい参考資料になると思います。
ご飯が食べられなくなったときどうしますかという問いは有効だと本に出ていますね、それをテーマにした本がありましたので、届いたら早速参考にしたいと思います。
ご近所、付き合いを復活させたい思いが、いろいろリサーチする目的にもなり始めています。
昨日、四つ木御殿で行われたそば打ちの会にご近所のご夫婦をお招きした。もう1組の親子の方は体の不調で来られませんでした。それが心配。
ご近所力…について考えていく…冬ごもりならぬ夏ごもりには最適なテーマだと思います。
さて、、人生は体力だと、僕の最初の相棒が口癖のように言ってましたが、今やっとその意味がわかりました。
好きなことをするためには体力が必要。小さなことを目標にする。ここ2、3年の目標は… 80歳過ぎてもスイスイ泳げること。写生を楽しむこと。適当にアレンジしてトランペットが吹けるようにすること、
お金かからない自己管理を兼ね備えた我ながらいい趣味だなぁと思います。
後は数少ない友人、先輩を見習って、おさらばまで楽しく暮らすのみ、なんちゃって。
(図書館で詩集をパラパラめくっていたら、とてもいい詩が出ていたので、書き写しました。編者ドロシー・バトラー/岸田衿子・百々佑利子訳/のら書店1993年12月15日初版発行103ページ
鎮魂
星のまたたく広い空の下に
墓をほって わたしをよこたえてほしい
わたしは たのしく生き よろこんで死ぬ
だから 遺書をおいて、目をとじる
わたしの墓に こう きざんでほしい
「ここにねむる男 みずからもとめた大地にかえる
船乗りが 海からあがり
狩人が丘をくだって 家にかえるがごとく」
ロバート・ルイス・スティーヴンスン
Midweek Report
先週の予定に関しては先々週に報告した通り、欧州では19日木曜日が「聖体の日」(Corpus Christi)で金曜日もついでに休み、従ってその週の就労日は3日なので、夫がその前の土曜日から9連休を取りたいということでスイスに出かけました。
このCorpus Christiというのはカトリック教徒にとっては祝祭日ですが、プロテスタントが祝う日ではありません。(ルターやらカルヴィンやらツウィングリが、神学的に根拠がないということで廃止したらしい。)
ということで出かけた先は、スイス東部のアッペンツェル・イナ―ローデン(内アッペンツェル)という小さな半カントンです。Kantonというのは州と訳されますが、アメリカのstateともドイツのBundeslandとも全然違う。国の人口が850万なので、そこの26州はどれも日本の地方都市より小さい規模です。その中で最小のアッペンツェルはさらに内アッペンツェルと外アッペンツェル(アッペンツェル・アオサーローデン)に分かれてそれぞれ「半」カントンと呼ばれるようになり、これはもう何世紀も昔から定着しています。
ドイツ同様にスイスでも16世紀の宗教改革で新教(プロテスタント)が台頭して国民が分裂し、アッペンツェル州でもカトリックを頑強に守る「内」側とプロテスタントに宗旨替えした「外」側で戦争になりました。
結局解決策として半カントンという方策が決まり、いわば合意のうえでの別居所帯で、おかげでどちらもほぼ満足して数百年の平和が保たれています。(日本である作家が「慣習や考え方の違う人たちは別々に暮らした方がいい」と言って物議を醸しましたが、これをアパルトヘイトとして非難するのは当たってないと私は思います。特にEUは何でも融和とか統合を主張するけれど、生き方を強制されて平和な暮らしを乱されることを厭う人も多い。一つ屋根の下に住むことに固執せず、隣人として暮らす方がお互いのためです。)
さて私たちが出かけるのは通常は内アッペンツェルの方で、といっても別に半州の境界があるわけじゃなし、いつも両方の村を行ったり来たりします。内アッペンツェルの人口は16000人程度、外アッペンツェルの方は約56000人というのだから、笑ってしまうでしょう。特徴としては、宗派の差のほかに(と言うより、宗派の違いのためもあって)山の多い「内」側では酪農業と観光業が盛んなのに対し、「外」側では伝統的な手工業から近代工業まで製造業者が多いということですが、景色は連続しているから、外から見てもよく分かりません。
(内外合わせても、7万人ちょっとという地域に州というステータスを与えるスイスという国こそ、官僚主義の塊であるEUよりもはるかに度量が大きいと私は思っています。今の時代、これこそが本物の「多様性」であり「寛容」ではないかしらん。)
さてさて、その内アッペンツェルでは木曜日に聖体の日のパレードがあるというので、ホテルでもカフェでも話題になっていました。お祭りに興味がない私も、この祝日の時期にいつも来るわけじゃないから一応は見てみようということで出かけました。駐車場所はすぐ見つかり、タイミングよくこれからパレードが始まるという所に出くわし、携帯で写真を撮りまくり。
音楽隊も兵士モドキ(ミケランジェロがデザインした服を着ています。バチカンの護衛に従事するのは全員スイス人で、この服を着て法王庁を守ります)もいましたが、この日の主役は伝統衣装を着た女性たちです。彼女たちの衣装、とくに頭の飾りに特徴があり、1年に一度の晴れ姿を披露しようと老若のご婦人たちは張り切っています。というかほとんどが中高年の女性なので、見る側も一人一人の容姿に気を取られることがないのが利点かもしれません。
その礼服の写真をお見せしますね。一通り行進が終わってあちこちにたむろして立ち話をしているスイスのオバサン・オバアサンの姿を見て、「あれ、これって?」と連想したのが、盆踊りに参加する元気な日本の中高年のご婦人たち。
そういえば、この帽子も日本の「鳥追笠」によく似ているじゃありませんか。ね、二つの写真を比較するとよく分かるでしょう。