5月4日(日)
夜中…といっても、昨日の宵の内から寝ているのでもう少しうとうとしていれば、睡眠は充分。もう起きる時間だ。
何か書こう。3週間ほど前のメモがある。
寝床の中から左前方を見ると母がいる。何の用かなと思って、目を凝らすと仏像に見えてきた。よくよく見れば…直立した洋服掛けに襟巻きだの帽子のシルエット…ちょうど母が服を着て、遠慮がちに立っているところにも見えるし、しなやかな曲線を見せる仏像にも見える。
仮託する。かこつける。その時の感情を処理するために。身近になければ想像してでも作り出す。ススキが幽霊に見えたりする。
その一方で、時間をかけて作られたものは仮託する対象になりやすい。先日手に入れた。
おそらくは、旅先で買った民芸品、めぐりめぐってリサイクルショップに並んだ。それを500円で買ってきた。銅板レリーフ。生活が写し取られている。僕が知らない懐かしい生活がそこに確かに存在しているのが不思議だ。
作られたものには、心が宿る。あるいは心を宿す、、なんちゃって。

導入部が肝心、というのでついでに触れますと、昨日読んだ「思い出す事など」の中に、ある人の書いたものについて「玄関の間がえらく広くて、奥の間は大したことない」と言うような表現がありました。これもなかなか優れた比喩ですよね。漱石さん、50歳を前に亡くなっちゃって、ああ、あと10年生きたらさぞユニークな作品が生まれたろうに、と死後110年近くを経た今頃になっての哀惜の念。
今日はおとなしくしていようと思ったのですが、ちょっと今朝面白いことがあったので、簡単に報告します。
朝食のとき、ラジオで「ドイツが連合軍に全面降伏して今日で80年になります」と言っていたので、夫に「覚えてる?」と尋ねると、「ああ、もちろん」。そこへ夫の仕事着その他の洗濯・アイロン掛けに週3回通って来てくれるマリアさん(亭主と同じ85歳で家事の名プロ)が来たので、同い年者同士で終戦の日の話になりました。その日5歳の夫は母親と畑に出ていて、ラジオ放送があって敗戦を知ったとか。「玉音」じゃないから誰が告知したのと尋ねたら、ヒトラーは数日前に自殺していたので、当時の暫定政権の首相じゃないかな、とのこと。さすがにそこまでは覚えていない。マリアさんは、突然連合軍の兵士が大勢押しかけてきて・・・なんて話していました。兵士のほとんどは、夫の郷里でもこの辺りでもフランス人だったそうな。
その前に、敗戦の色が濃くなってから、夫の祖父は狩猟館として使っていた屋敷の階段の後ろに急遽小部屋のようなものを作らせそこに小麦粉・砂糖・ラードなどを大量に隠したのですが、その仕事をした左官にケチンボの祖父がちゃんと賃金を払わなかったので恨みを買い、フランス軍に告げ口されて全部引き渡すことになったんですって。
こういうエピソードも、後4,5年したら話せる人がぐっと減るわね、などと話したことでした。
最後に、これは私から絶対言っておきたいこと。この敗戦記念日をドイツ人は「解放の日」と呼ぶのです。初めて聞いたときポカンとして「何からの解放なの」と訊くと、ヒトラーのナチ政権やSS部隊から、というので呆れ、そのあと大きな憤りを覚えました。彼らを台頭させたのは、ほかならぬドイツ国民じゃないか、自分たちもヒトラーに与しあるいは心酔していたではないか、少なくとも阻む努力はほとんどしていないじゃないか。それをまるで、自分たち国民は暴君の被害者みたいなことを言う!!!んまあ、なんて卑怯な民だろう。
日本人でも敗戦で「東条英機から解放された」と思った人はいたかもしれないけれど、そんなことを大っぴらに口にするよう恥知らずについては聞いたことがない。それだけでもう、日本人はドイツ人より何倍も立派な民です。日本の偽インテリは何かと言うと戦後ドイツの態度を称賛して日本をボロクソに言うけれど、700万人近くの自国の民と600万人のユダヤ人を犠牲にしたあげく「解放の日」なんて歯の浮くような美辞麗句で惨敗をごまかすなんて、ドイツ人って、もうサイテー。