体の具合が落ち着かなくて、安静方々本を読むしかなかったのですが、SNSでベッガさんに紹介された田辺聖子のこの本ですが、私がそれを読むかどうか決めるのはその本の第1ページ目の出だしの文章で決まることが多く、この本もそうでした。
第1ページ目の出だしはこうでした。
「まったく則光(夫)ったら、何でこうも私をいらいらさせるのかしら。いらいらさせる、っていうのか舌打ちしたくなるっていう野か、憎らしいっていうのか、じれったいというのか。昔とちっとも変ってない」
1000年も昔の清少納言の物語なのに、なんという親近感のわく「始まり」なのでしょう。
私はこのように、食いつきがいいと結構読み通してしまいます。
清少納言と、これを書いた田辺聖子という小説家はまったく同じ性格なんじゃないかとおもうほど、
清少納言の身近な人達や、出会う人たちに対するはっきりしたイメージの、人間に対する洞察力は
いちいち気持ち良く響きます。
こういう表現も気に入りました。
「私は男の美徳の一つに「率直」というのを挙げたいのだが、則光もそういう点は確かにあった。しかし則光の「率直」は文字通りのもので、男として旨みのある「率直」ではなかった。
相手が傷つこうが、滅入ろうが、それに関係なく、いや、何も関係のない虚空で燦然と輝いている無機質な「率直」であった。
こちらの具合によってそれはこよなく愛すべきものであり、またこの上なく傷つく凶器ともなった。
則光はそういうものを天から賦与されてるとは自身つゆ知らず、本能や衝動のままに「率直」を振り回して周囲の人を喜ばせたり、傷つけたり、してるのだ。
しかし、棟世の「率直」は違う。何たらかんたら。。」という感じで、一つの言葉の裏にある受け取り方がとっても正確に分けて表現するところが面白かったです。
また、人の世の運命をいろいろ眺めて、25歳や30代のそこらの若い年齢で亡くなる人も沢山いるけど、それぞれ人生の面白みを沢山感じて生きてた人もいるのだな~、今の感覚でいえば、20代なんてやっと精神的物心がつき、人生を味わうこともないうちに早世してしまうのかと思いきや、そうでもなく。。
古文としての表現はその時代の役名だけで、心の中はまったく現代風だからなおさら面白かったのですね、
1000年経っても人間の心や人の世は変らなかったのですね。私も、この人生の辛い事は胸にしまい、楽しい事だけを考えようと思いました。
田辺聖子の作品はどれを読んでも面白いです。「母さん疲れたよ」という内容とちょっとかけ離れた内容の本(夫婦でブラジルに渡り、それぞれが独立した異国での暮らしを妻の側から書いた作品)も凄く面白く読みました。
ベッガさんの外国での生活をちょっと追体験出来たような気がしました。
この本もベッガさんの紹介でしたっけ?
たまたま私が見つけたんだか忘れたけど、田辺聖子ってとにかくいろんな環境に身を置いた主人公が、見もの聞くもの、会う人たちについてことごとく見抜いて正確な感想を言葉に出来る人なんですね。
それが楽しかったです。
私もエッセイは大好きです。短いから気軽に読めるし。
則光って「ホ可愛い?」そうかもしれませんね、あはは!どこか可愛げがないと愛せないですよね。