40年ほど前、国会図書館に通っていたころ、当時はまだ帝国図書館時代の蔵書を紙のカードで検索して閲覧することができた。以前から筑摩叢書に牧野富太郎の『植物記』を入れられないかと思って牧野の業績を調べていたのだが(当時の筑摩叢書は一度埋もれた既刊書を発掘して、仕立て直して発刊するシリーズだった)、別の調べ物で入館したさいに、古いカードボックスを繰って『日本植物志図篇』第1巻第1集を見つけて借りだしてみたら、大判の画面いっぱいの植物画に圧倒された。まだ未完結のシリーズの初冊だと思われたが、学術書にもかかわらず細部までゆるぎのない筆致で細密に描きあげられた植物のフォルムは美術書のような輝きを放っていた。Wikipediaによれば、「26歳でかねてから構想していた『日本植物志図篇』の刊行を自費で始めた。工場に出向いて印刷技術を学び、絵は自分で描いた。これは当時の日本には存在しなかった、日本の植物誌であり、今で言う植物図鑑のはしりである。」これは現在は実物を閲覧することはできないが、マイクロフィルムにされて借りだすことはできるようだ(https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000000473035-00)。
松岡正剛は千夜千冊で俵浩三の『牧野植物図鑑の謎』を取り上げている(0171夜2000年11月15日)。ttps://1000ya.isis.ne.jp/0171.html
松岡にとって、「牧野富太郎は中西悟堂・野尻抱影と同じ意味で“神様”だった。」が、その神様の意外な一面を同学の科学者の曇りのない目で描き出した俵浩三の著書を、松岡もまた科学者の目で評価している。「本書は、そういう背景からすると、珍しくタブーを破って、かつ内容に富んでいる。しかも村越三千男という植物研究者を掘りおこした一方で、牧野富太郎の真の業績にも肉薄できた。」
牧野富太郎の桁外れの生涯は、南方熊楠のそれと匹敵する、日本の近代の学術の歴史にユニークな位置を占めているが、また社会科学的な人間的興味もかきたてる。
この表紙のヤマザクラも牧野富太郎画ですね。実は2019年用に出た「ほぼ日手帳」の表紙に牧野富太郎のヤマザクラが使われていました(高知県立牧野植物園所蔵)。それを知ったのは2月でしたので、今から日本に注文して取り寄せていると2019年は4分の1が終わってしまうから諦める、とみやこちゃんに言うと、何とすぐに送ってくれたのです。持つべきは「ものくるる友」とは言いませんが、ありがたくて涙が出そうでした。
それで手帳の表紙の絵にはPrunus Pcseudo-Cerasus, Lindlとあるんですが、これを手元の「牧野新日本植物図鑑」で調べると、「しなみざくら」とあります。支那実桜ってあなた、これは山桜でしょうが。何かの間違いでは。