西村かずお
東京から100 Km程離れた東北のとある田舎に両親と三人の子供、小学生の男の子を頭に、女、男の子の一家が住んでいました。その家には太郎と言う名の一匹の雑種の子犬が飼われていました。人懐っこい犬なので放し飼いです。今では成犬です。特に太郎は小三の女の子になつきました。いつも朝夕餌を貰ったり頭や喉をさすってもらい、それがとても嬉しく気持ちが良かったのです。女の子が遠く学校から帰ってくるのを目撃すると、一目散に迎えに走って行きます。或る時女の子が一人で自転車に乗る練習をしていました。最初は補助輪をつけてです。だいぶ慣れてきた頃それを外しペダルを踏み込んだ時です。太郎はきっと女の子が倒れたり倒れたら大変と思ったのでしょう。
一緒に走り出しました。その途端女の子は自転車ごと砂利道に倒れてしまいました。
女の子は気が散ってしまったようです。
左側下肢にやや大きめの砕石が当たり血が吹き出しました。女の子は大声で泣き出しました。すぐに家族が駆けつけ病院へと搬送、手当てをしてもらい家へと帰りました。
ところが太郎がとてもおとなしいのです。
太郎は女の子の父母から大目玉を喰ったのです。しかしひどくは叱りませんでした。
太郎は女の子の父母の表情、少女の泣き声に悪いことをしたなと反省したのだと思います。
瞬く間に十年の歳月が流れて行きました。
太郎は背中が脱毛、皮膚はカサカサみすぼらしい姿になっていました。
餌を食べる時だけヨロヨロと立ちあがりますが、その他は殆んどゴロゴロと寝ています。
ですが今でも女の子が帰る頃の時間になると、女の子を迎えに道端にでて、雑木林の側道を帰ってくる高校生の女の子を待っていました。今日も夕暮れです。午後七時、満月が煌々と輝いています。
太郎は女の子の姿が見えるとヨロヨロと立ちあがり走って行きます。
するとニ、三人の人影が女の子を取り囲んでいます。女の子は必死に逃げまわっています。太郎は雑木林の人影に向かって猛然と走り出しました。太郎は激しく吠え無事人影を撃墜しました。ですが人影の棒で激しく打ちのめされ静かに大地に目を閉じ横たわっています。
うれしそうに微笑んでいるのです。
たぶん、毎日ごはんを用意してくれてありがとう、遠い昔、足に怪我をさせてしまってごめんなさいと言っているのだと思います。
完
犬も猫も人間との付き合いが長くて深いですね。河川敷で数匹の犬が大型犬から小型犬まで縦横無尽に一緒になって駆けずり回ってます、飼い主とつながる長いリード引きずりながら…。合流するのが待ちきれないといった様子で後から来た犬は仲間のところにすっ飛んで行きます。ひとしきり遊んでシェパードとかラブラドールとか小型犬が階段を上る時1段1段登る姿であれこんな老犬だったんだと気がつくこともあります。仲間で遊ぶ時は若々しく飛び回っている、はためにもそれが楽しいですね。犬種を問わず出どこの祖先は同じだからかなぁとか考えます。 猫は野良猫でも飼い猫でも見ているだけで楽しい。野良猫には特に心を惹かれます。 猫や犬を飼っていて心が通うようになっていざその死に際に立ち会うとなるとそれは辛いものだろうと想像つきます。ある意味我が身の一部分になっていたようなものをはがされるような空虚感、言葉が通じないだけに尚更…僕が犬や猫を飼うとなるとこういう気持ちになるかなと想像して、、、犬や猫を飼わないのかもしれません…あ、それで人間との付き合いも…ほどほどなのかなとちらっと思い当たりました、あはは。
俳優さんたちが言っていますが、子供や動物と共演したら勝ち目はないそうですね。だからコマーシャルにも動物がよく使われる。
書かれた物もそれと似ていて、フィクションでもノンフィクションでも描かれる動物たちはとても魅力的です。人間は端役。その証拠に・・・
私は佐藤愛子さんのエッセイをよく読んだのですが、覚えているのは彼女が北海道で拾った(むりやり拾わされた)小犬の話、彼女の仕事部屋のすぐ外でガラス戸を隔てていつも飼い主の姿をじっと見ていたワンコの話など。
幸田文にも「動物手帖」という随筆集があって、露伴ゆずりの犬好きならではの話が出てきます。
「子供の時から動植物が好きなのである。植物の方は朝顔だの、大豆だのから楽しさを知りはじめ、鳥はスズメ、からす、もずから、さかなは目高から、動物は犬からである」
私も犬猫は好きですが、この20年の間に犬には2度、猫には4度死なれてしまったので、思い出すと物悲しく、飼い方が悪かったのだという後悔にも捉われます。