友達にもいろいろ種類がありますね、趣味の友、旅行友達、幼馴染、学友、職場の友、今まで自分が属してきた中で気が合ってよく話し、お互いに考えてることや、価値観が似て、全幅の信頼できる人としてお互い認め合うと親友になるのかな?
そして、〇〇友達といっても、好きな処、嫌いな処があるとして大体は自分の好きな面だけに付き合います。あとは見ないことにしてます。というか、私はこの人のここと付き合ってるという感じ?
あとは問題が起きないよう、大人の対応でこの世を泳いでます(笑)ほんの少しの親友が居れば、人の面白さを楽しんで。色んな花を愛でるように好きな面と盛り上がっていければいいかな?
あれ?5行で収まらなかったでした。
おまけ
田辺聖子さんの言葉遊びで「ま、こんなとこやな~」と、「そこそこフツー」という表現はどちらがマシな評価になるか、いろいろ言ってました。微妙にニュアンスが違いますよね~、独り言おわり。
お話がうかがっていて、距離感について、はっとすることがありました。猫との距離…猫に失礼にならないように結構距離をとっています…お互いの気配の邪魔にならないようにと言う意味です。人との距離についても同じです、最近、結構距離とってるなぁと言うことに思い至りました。だから数人が集まるところにいると無言でいても圧迫感を感じます。年齢のせいもあると思います。最近耳の聞こえが悪くなったことも距離感を取る一因になっていると思います。 お金にまつわる思い出は結構多い方です。借りるときのえびす顔返すときの鬼の顔…手切れ金のつもりで…よくわかります。というか今わかった…事例も思い浮かびました。あいつは現金なやつ…と言う言葉も味わい深いなぁと思いました。僕も結構現金なやつです…あはは。金銭は人の深みも見せるけれど浅はかさを目にすることの方が多かったような気がします。
ろれさんの独り言は深いので読み飛ばせません。繁さんとの掛け合い漫才は楽しめます。
私にとって友達とは――ものごごろつくころから、猫やヒヨコを友として過ごしてきた時間のほうが、学校やクラブ活動の時間より長かったような気がします。
転勤族というほどでもありませんが、小学校低学年までに引っ越しが多かったせいもあるでしょうが、人間関係をうまくマネージメントするのは苦手です。
この設問に一言で答えるなら「適度な距離感を保てる人」とでもいうのでしょうか。
私の貧しい人生経験から得た教訓は、ずっと友達でいたかったら「金の貸し借りはするな」です。金額の多寡にかかわらず貸すときは返済を期待しない手切れ金のつもりで…なら不快なことは起きません。
はい、分りました。この文章を書いてから…実は後悔してました。まさにろれさんがおっしゃったように形容詞の乱用が好きになれなかったと言えばよかったです。あと、安易な形容を避けたいと言う気持ちがあります、これからもっと勉強したいと思います。今日は中座してすいませんでした。
昭和の男の方なんですね、不器用ですから(高倉健)勘弁してあげて下さい、その心は…おいしいに決まってるじゃないか、そんなこともわからないなんて水くさい… あ、このコメントめんどくさかったら忘れてください^_^ それとこれから述べる形容詞の件…気に触ったら忘れて下さい… これは内緒話ですよ…絶対他の人に言わないでください!実は僕形容詞多用する人あんまり好きじゃありません、それと反対に形容詞が好きな人、ろれさん!そうわかっただけでも近づけた!!僕らは友人としては近づけた、こういうわかり方でいいんですよね、ろれさん😓
いいなぁおまけ付き!で、、、眠気が飛んじゃったのでコメントします、、、 〇〇友達について他の方のコメントも聞きたいです❣️ 上のろれさんの独り言にコメントします→ まぁこんなとこやなぁ…と言うのは最初思ってたのと違うところもあるけどまぁまぁ自分の想定範囲内の人、、、許したるわ そこそこフツー…と言うのはもうちょっとはじけたところがあるかなぁと思ってたけど…付き合ってみたらフツーで、、、ちょっと、期待はずれ、、ってとこちゃう (あはは、にわか関西人😜) ろれさんが、友達についていいとこついちゃったんで、、、こんな友達欲しいなぁとかこの人のこういうところ直してほしいなぁとか私のこと好きになってくれる人はこういう人であって欲しいなっていう、ところが聞きたいなぁ、わたし🥸
我が家では「まあまあ」という日本語が結構使われます。ドイツ語ならso so lala(ソーソーララ)、覚えやすいでしょう。独・独辞典には「我慢できる程度であること」とあります。互いに我慢のまあまあ家庭ですね。