また、
永井路子は歴史上に生きた有名な女性の事を書いてますが、それまでは歴史小説は男性作家が殆どであり、それぞれの時代に生きた女性の生き方や思いを書いたのは永井路子(杉本苑子もそうですが)が最初だったとか。
それまでは、その女性たちの事は世の人にほとんど知られることはなかったようです。
特に位の高い男性の妻になった人は側室を沢山侍らせたり浮気三昧されてじっと耐え忍ぶだけでそれが女の生きる道と考え、あまり気にしないで生きてたのかしらと思ってましたが、女心は今とちっとも変っていなかったのですね。
政子は愛人の家を2度と住めないくらいにぶち壊したり。。
始めは、平凡な伊豆の豪族の娘で、普通に伊豆の豪族と結婚してればいろいろあっても一つのホームドラマ程度の波風で済んだ一生だったかもしれにけど、政子の場合、頼朝と会ったばかりに好きになり、父親の反対を押し切って頼朝と結婚するのですが、そこから政子の壮絶な人生が始まります。頼朝が旗揚げをして義経の活躍により平家を倒してあれよあれよと征夷大将軍になりあっというまに御台様に駆け上がったのですが、その一生は、母としてものすごい過酷な運命を背負わされることに。。
愛情の強い政子が4人の子供を死なせ、(孫も)それが、頼朝の武士の棟梁としてまとめるには必要なため弟を殺したり、娘の慕う人質を殺したり、およそ普通の親なら耐えられない悲しみを味わうことになります。
それぞれに子供たちに気持ちが寄り添っていたので、それを思うと死なせるたびに自分達の責任ではないかと(でも家の為には耐えるしかないけど)苦しみます。
自分の心の中の別の声に怯えるのです。
若いころは思った事はすぐに口に出してしまうし、好きな人のところには誰が何と言っても飛びこんでいくというふうに、のびのびと生きられたのに、だんだん運命の過酷さに耐えることが多くなっていきます。
甘将軍とかいいわれ、悪女のような評判の政子ですが、本当の姿は愛情の溢れる母として生きた人で、世間の評判は誤解のほうが多いと思いました。
歴史上の人物は大体世間に誤解されてる人が多いと思うけど、特に女性の場合、ちょっと目立つ行動があった時、大いに膨らまして言い伝えられるのでは?
永井路子は女心を説得力のある描き方で歴史の流れと共に客観的に描いてるので、同じ女性として
共感できる作家です。
私の友人に政子さんという人がいて、現役で重要なお仕事をしているのですが、顧客に「マサコ」ってどんな字を書くのですか、と訊かれるのが苦痛だって言ってました。「政治の政です」って答えると、必ず「ああ、北条政子の政子ですね」と言われるんですって。いいじゃない、ねえ、立派な女ですよ、本当に。私のような気弱な女としては、その気力・迫力にただもう憧れるだけです。
鎌倉、青葉の候にいらしたのですね。与謝野晶子の歌を思い出します。
・鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな
この歌が世に出た時、伊藤佐千夫など古臭いアララギ派の連中が「仏を美男とはふざけとる、けしからん」と非難したそうです。いつの時代にも女の才能や活躍に嫉妬する肝っ玉の小さい男はいるものですね。