スマホのメモ機能を使って文章を書いてもう1年以上になります、多分。こんな時代が来るとは…もう何度もため息をついています。聞いてもいない講演会のテープ起こしをさせられて文章に書き移すときの面白くなさ…全国組織の名簿作りのとき、ゲラ刷りの記録に誤りがないかどうか1人が文章を読み、もう1人つまり僕がそれを聞いて内容とチェックする…砂をかむような仕事、名前なんかちょっとでも間違えて、印刷があがってきたら…間違われた本人からすぐさま文句が来るだろう…文句が来ないまでも面白くないと思われるだろう…間違ってはならない…このプレッシャー。なんだかこのコロナ時代だからこんなことを思い出したんだと思っちゃう。閉塞状況だからその連想で昔のことを思い出すのかなとも思います。次のこともその一つ。
大学の教員をしていた僕の上司がある時…僕はね… 1日必ず1時間以上本を読むことにしているんだ…あーそうですか…与えられた仕事のことで頭がいっぱいだった僕は…今で言う、スルー、まさに聞き流し。と、こ、ろ、が、、仕事のやり方はその人のやり方を真似ている!気がついたのは最近だ。まず自分のやり方で発想する、素人なりに組み立てる、参考資料は後で揃える。理屈じゃない。やり口との相性。本当に最近発見したことです。
僕はある人と話をしていて話が噛み合わなくてもあまり気にしないのもそこから来ているようです。そこ、とは…伝えたい本意は今は伝わっていないかもしれない、将来伝わる可能性はある、と経験的に思っていた、そこのことです。言葉では理解していなくても体験がそうさせていたのだと思いました。言葉では間に合わないから職人は…あの手この手で伝えようとする、所作で、段取りで、仕上がりで、態度と時間と気分で…偏屈と言われるには、理由がある。僕は職人でありたい、伝え手、としてよりはそうやって学びたい。
僕がそうだったように人は誰でも「自分の都合の良いように解釈する」。それで良いのだと思う、とりあえずそうしておかなければ、次に進みづらい。その時が来ればわかる、来なければわからない、それだけのことだ。こんなことをいま、考えていました。こんなコロナの時代だからこそできることも、聞いてもらえることもある、、、そう思うことにしました。今はきっと熟成期間なのだ…そう思っても面白いなと思いました。そしてあるとき、パタンとページが閉じる…それもまた誰もが1度は経験する1度だけ経験できる貴重な体験…あはは。
なるほどなぁ…対話の方が、会話より自由…と思います。納得です^_^