僕がKBSのフォーラム欄に投稿する時パソコンは使わないで全てスマホで音声入力してからアップしています最近怖いなと思ったことがあります。スマホが文章を考え込んでいるときせっかちな僕はスマホに考えさせないで全てカットして。ちょくちょく直しながら進めるのですが時々余裕がある時、黙って待っていると…今入力した文章がするすると消えスマホが考え込んでいる時つまり前に一回オッケーしておいたくせに、、、パラグラフ全部書き換えてくることがあるのです。これを初めて見たときちょっとぞっとしました、直された文章の方が筋が通っていたのです!つまりコンピュータが勝手にパラグラフ全体を判断する時代。静かに暮らしていてもぞっとさせられる事はあるものですね。
(昨日は素敵なハイバックチェアーを500円で立石図書館のリサイクルコーナーから手に入れました。僕はいつもなぜリサイクルに出たかを考えます。この椅子はおそらく有名なデザイナーのパクリだと思いますがこの椅子の欠点(長所でもある)は…座る人に姿勢をただせと要求してくることです。これを僕に合うように手を加えます。カバーを外してみると写真の通り…背中の中骨あたりに薄い鉄板が入ってますのでその鉄板のちょっと上でカットしてしまいます…そうすると見た目の存在感が軽くなり、使いやすく、座り心地が僕が求めている椅子になります。ちょっと手を加えると自分用の使い勝手の良いものになる事は本当に多いです)
東京にいて東京のことを知らない自慢、学歴がない自慢、ものを知らない自慢、、僕のことです…姉には「自慢ちゃん」と呼ばれていました。年寄りに好かれるので仕事仲間からは年寄り殺しと言われていました、もちろんこれも自慢です、あはは😉
畳の上に椅子を置くと脚の重さで窪むので小さなラグを敷いたりしますが、これは板ですよね。なるほど、いいアイデアですね。拭くのも簡単だし重くない。畳は十分保護できる。
最近読み直した外山滋比古(長寿でしたが一昨年コロナの中で亡くなりましたね)の「国語は好きですか」の中に<段落とパラグラフ>という章がありまして、これが結構面白いのです。
・段落はもともと日本語にはなかった。(小学生が)わからなくても恥ではない。いっそ段落なんか始めから問題にしなければよかったのである。
・新聞なども段落を曖昧にしたままで、戦後になって、句読法とともに段落をはっきりさせたくらいである。
・「源氏物語」にも、もとは、段落がなかった。えんえんと文章が続き切れ目がない…今の版本には、段落がついているが、それは役人の加工である。
等々。
もちろん句読点も古文にはなかったのですが、ヨーロッパにおいても古い時代には句読点は見られなかったそうです。
ついでながら、この人は大学で英語を教えていて「英語青年」の編集にも関わっていたのですが、外国の土を一度も踏んだことがないのを自慢してたんですって。