昨日図書館に入る前に兄から電話が入った。長野県に移住した兄の友人で僕とも何度か会ったYさんに来年の陽気の良い時に会っておきたい…と言う内容だった。兄の心境はよくわかる。会うべき人に会っておきたい。もちろん僕も同行することで大賛成。幕を閉じるのは自分ではないにしても終演は見えている、僕も同じ心境だ、、、だからと言って遠慮はいらない、と思う。
最近立ち上がった野草クラブも創業塾のメンバーが近々寄り集まるのも…来年の初めに立ち上げる予定のお新香研究会も、遊びといえば遊びだし仕事といえば仕事だ。お金もないのに先日不動産屋に「極小土地」を探しておいてほしいと連絡を入れた。食品の真空パックと殺菌装置を設置する場所があれば良いので大きい土地は無駄だからだ。だめだったら売ればいい、小さい土地が必要な人は必ずいるので…すぐ売れる?!こんな気楽なこと言っていられるのは、もともと僕が中心でやっているわけでは無いからだ。つないでいく人がいればつながるし、いなければそれまで。布石とも違う。「形の定まらないジグソーパズル」にあちこちに断片、ピースを🧩置いていく感じ。なぜそうするか…どなたでもやってごらんになればすぐに分かる。目印みたいなものです。それがあることによってどなたが見てもどのへんのピースが欠けているかもすぐにぴんとくる(その時ぴんと来なくても後で来るかも)。とりあえずのピースを置くことによって人も情報も集まる…この作業、ぼくに関して言えば…余命を埋めていくことにも似て暇つぶしとしては最高の部類だと自己満足している。このなりゆきは来年も運がよければ続いてゆくこのコーナーでご報告させていただきます、楽しいですよ、、やっと、最近、葛飾が好きになってきた、皆さんのおかげです…あはは。
極小土地の利用法。いいですね、そのことを考えだすのいちまるさんもエライ!
田舎には極小でなくても空いている土地は結構あるんだけど、問題は住民の意識、無関心、それからびっくりするような保守性と自己防衛の強さ。
我が家のすぐ近くにゴミ集積所があって(そこは登記上は私の土地です)、近所の人は一応ルールを守ってくれるけど、やっぱりだらしない感じは否めない。気に入らない。
私が小さな可愛らしい小屋でも作って、戸は西部劇に出てくるサルーン風にして、なんてアイデアを出したら(懇意の工務店がやってくれるはず)、そんなことしたら、ほかの地区の人まで面白がってゴミ捨てに来るからダメって近所の婆さんたちが顔をしかめる。この人たちは私が何か言うと「ワ―ストシナリオ」とやらを出して反対するんです。クソッ、なんちゅう詰まらぬ暮らしをしとるんや。だって、ジグソーパズルのピースを見せただけで反対するんですよ、別に彼女らに一円でも負担しろなんて言ってないのに。