兄と富士を見る機会があった。日がな一日富士は時間とともに姿を変えていく、もちろん他のものもそういうことだけど富士山は大きいだけに目立つ。古代、よく晴れた日には至るところから見えるので人間や動物たちの時計代わりをしたろう。いつ怒り出すとも限らない信仰の対象にもなったろう。いかり肩からなだらかに滑り落ちるように麓に広がる曲線は寺の屋根の見本にもなったろう。
朝日を浴びて白い息を吐くように雪をとかし て稜線に湯気が上がるのが見える、陽光を照り返しながらあまねくその光が麓まで広がるのをじっと待つ、巨大な山をやすやすとくまなく照らし出す太陽の大きさを昔の人は想像したろう。
ふと、想う、小さなスマホの画面に大きな世界の広がりを見る僕らと昔の人たちとの差はない、つまり僕らはほとんど進歩していない、ぼくら自身、芥子粒のような小ささを日々自覚するかどうかは別として…ハハハ。
(たまに気取ってこういうことを言ってみるのも面白い。ごちゃごちゃした毎日も捨てたもんじゃないと思いなおして、日常に戻るためにも休息は必要ですね、、富士山をながめて飽きることもなかったので持っていった2冊の文庫本は見る暇がありませんでした、つまり出かけるまえは暇持て余すかなと思っていたわけですね😅)
富士山の噴火がわりと最近まであったことは知られていますが(本格的なのは江戸時代中期までらしいけれど、今でも何やらごぞごぞ動いている気配)、富士を詠んだ歌って鎌倉時代初期の新古今集には出てくるものの、平安時代の歌は聞かない。
と思って考えたら、当たり前だ、富士は東日本だもの、歌人・文人・教養人が富士をその目でしかとみるようになったのは鎌倉幕府成立以降なんですね。
西の方で貴族・皇族が大和三山(最高の畝傍山でも200メートル足らず)をのんびりと眺めていたころ、東では4000メートル近い富士山がしばしば爆発していた?でも国の中心が西から東に移った鎌倉時代以降は、富士山はぐっと静かになったそうです。富士って結構へそまがりの天邪鬼だったのね。