葛飾区のレジャーワールド化について
あのさ、〇さん、葛飾区を大きな遊園地みたいにしてもっとみんなが集まれるように…あそこへ行けば何か面白いことがありそうだというような場所にできないかしら
なんでも「新し物」好きな君らしいな
これは別に新しいこと考え方ではない。昔僕らの仲間にHRさんと言う人がいてその人の持論なんだよ…面白い人がいる地域は…面白い
なるほど、人が集まればそれを面白がれる人も増えてくるわけだ…当然、面白い人も混じってくる…好循環だね、言うはやすし行うは難し、、、
その考えを敷衍しただけだ、拡大解釈とも言えないけれどそのまま話を進めていくとこういう結論になる
風が吹けば桶屋が儲かる理論と同じで…糊と理屈はどこにでもつくという昔ロシア語を専攻した時覚えたことわざを思い出したよ
〇さんは僕の言う事は全て右と言えば左、白と言えば黒そういう人だよね、まぁいい…こっちは承知して付き合ってるんだから、ふん
で?だからどうしようってんだい?
今読んでいる「老いの泉」西村書店、著者のベティ・フリーダンが下巻でこんな例をあげているんだよね
アメリカにはトレーラー・エステイト(移動住宅団地)と言うのがあって当然トレーラー・コミュニティが形成され、もう作られて25周年を迎えるその1400世帯が暮らすそのコミュニティーの空きを待っている人たちがいる位人気のそのコミュニティでレクリエーションを指揮する一人が言うには…
36ページより引用
…ここにあるトレーラーの多くは広く古いものだが「コミュニティーがあるから、ここの価値が上がってきた」(中略)「真の意味でのコミュニティーとは、こういう価値を与えてくれるものだ。このようなコミュニティーに住む人たちは長生きするだけでなく、老いても以前より健康だと言う調査結果がある」。引用以上、、、
この一例を以って話を膨らませるのは無理があると言う事は承知しているけれど…
1年中ディズニーランドの中で暮らしていて楽しいかといえば… 1日だってそんなとこにいたくない人もいるだろ、かと言って、民間の老人施設で3年ほど前にちょっと働いてみてわかったろう、若い人は介護職員だけ…そこは社会じゃない
今そういう話をしているわけじゃないでしょう…町全体はビルで分断されているわけじゃないし、警察も消防車も小学校も中学校もある、銭湯だって葛飾区内に20数カ所残ってる。健康管理を兼ねた社交場でもある。そういう社交場がたくさんあるのが老若男女住む人間の生活の場でしょう…、住む人間の平均年収で行けば23区内の下から数えた方が早いけれど住みやすい地域としては全国でも指折りらしいよ、それはなぜかという事だよね
話が噛み合わないね…そもそも君がアメリカの例を出すから悪いんだよ…アメリカと日本とは違う、考え方も、宗教も、行政区分も、法律もね
(わかってらいそんなこと、、)あー、話が広がりすぎた、住むところは面白いほうがいいと言うところから話が散漫になってしまった、話を元に戻す、、、例えば立石と言う狭いエリアを限って見てもそういう道路による分断とか階層による区別が少なく人の流通がスムーズと言うことを条件に話を進めよう、、年寄りの囲い込みでもなければ、所得格差による棲み分けでもない… 400,000人以上が住む広大な葛飾区の中の、立石駅を中心とした半径1キロ圏の話にしよう!歩いてゆける15分以内の地域の話、そんなコンセプトがあるかどうかというと…多分…ない
逆にそーゆー歩いていけるその範囲にどういう意味があるかと言えば…囲い込みがないと言う解放感、楽しみ方は自分で選べるという選択肢の多さ、インテリも職人も芸術家もご隠居さんも子供も一緒に住んでいるという文化の厚み、さらに言えば…まぁここまで言うとますます話がややこしくなるが大事なことなので言っておこう…その地域の中で喜んだり笑ったり泣いたり苦しんだり、解決のつかない問題は問題として残し、災害を共に乗り越えたり…まぁ言ってみればフーテンの寅の世界、解決がつかないけれど折り合いをつけていく世界…(〇さんには、そこまで言わないと揚げ足を取られる…あ、そうだこれも言っとかないと揚げ足を取られる)、あ、だからといって葛飾モデルを全国に広げると言うわけではありませんよ、考え方の一例です。また別の地域では別の考え方で進めれば良い(よし、反論は無いみたいだな…)
そんな距離圏にある駅の周辺に住む人たちの心配は…将来大きなビルが駅を中心としてできるとしても…人の流れがどうなるかというところまではイメージできないのではないか。そんな中で、遠くからも人を引き寄せるために自転車の駐輪場をたくさん作れという、先を見越した僕の先輩の発言もある(この先輩と子供の頃喧嘩して殴られた、殴られた瞬間生まれて初めて目の前が真っ暗になって目の前に火花が散った)頬に見事な青アザがふくれて…それを見ていたこの先輩の弟で僕と同級生の彼が後から言った言葉、いちまるちゃん歯向かっていったよね、、多分子供なりに慰めてくれたんだと思う…事実慰められた、子供はさりげなくこんなことができる、おっと、大脱線😅)
結局はどこにでもある駅ビルができてどこにでもある人の流れができるんじゃないかな。どこを切っても金太郎飴…全国一律は管理もしやすいしね…中央集権…別にそれが悪いと言っているわけじゃない…(〇の独り言、、、他に考えられないからねとりあえず。何とかもっているのは…明治維新以後の150年のノウハウか…あるいはまた260年続いた徳川幕府のノウハウも関係しているのかな、、)
まぁ…僕としてはそれでも大災害のときの防災拠点になりうる…と言う甘い見通しもある。今ある葛飾区役所が当初から災害対応の備蓄倉庫になり屋上がヘリの離発着場としていることからの類推だ
ふんふん、ふん、全天候型のビル群が人を集める事は間違いないだろうな、ふふ、どこにでもありそうなビルならば…途中下車までして立ち寄るかどうかは別としてね…デベロッパーがよく使う予定調和だな
(…無視して話を進める)問題は駅の周りだけ良くて半径1キロ間圏がどうなるかと言う事だ。葛飾区全体、東京都全体にまで広げないのは…似ているようでいて23区は似ていないし、葛飾区の中でも奥戸立石四つ木、互いに距離は近いのに風景も人の気風も環境も全然違うからだ(奥戸は農地がまだたくさん残っている、立石は商店が多い、四つ木は中小企業がたくさん残っている…十把一絡げには考えられない)
ところで〇さん、
令和3年から5年度にかけ葛飾区都市計画マスタープランの改定を予定してるんだって、、、当然東京都のマスタープランの方向性にも則ることになる、東京都のプラン読んでみた?
、、、、、ふん…(読むわけない知ってて聞いてるんだな…)
まぁ、出来上がったら見てみようとは思うけど…心配があるとすれば…コミュニティーをどう捉えるか…与件、与えられた条件の中で最適値を見いだすのは難しいこと、都市計画のプロがたたき台を出し、僕らはせいぜい出来上がったプランにせめてもの血を通わせる位しかできないのではないかと考えている、都市計画の第一ステップに、スーパーシティ計画に見られるような大胆な営断ができないような状況(個人の土地の権利関係、既に縦横無尽に入り組んでいる社会的インフラとの共生の困難など)では…
えらい消極的じゃないの、いつものホラが影をひそめてるね、まぁ今日はそういう気分なわけね、ハイハイ次!悲観的なときのキミの考えも聞いておきたいね
(こっちの精神状態も見透かされてる…ちょっとたじろぐ)
だ、だから、、、僕としては僕らの次の世代、その次の世代の連中に残せるものがあるとすれば…クソ、、、
じゃなくて…年寄りがそこで、どう死んでいったか…そうじゃなくって!…ひっそりと死んでいくのではなく…どう生きていったか、誰もがお互いに生き証人になってグッドバイする、、、それが…
もういいわかったよ
そうじゃなくて…聞いてください…それが…残った者たちの財産、つまり後進たちが次世代を生きるときの何らかの指針になり、張り合いになり、かつ去っていくものの最大の張り合い、生きがいでありうる、と言うことだよ
うんうん、うん、、、文学的だな、青っぽいけど…キミの目指す、君だけの理想論ね、、、まぁ今日のところはこのくらいにしておこう、なんかこっちまで暗くなっちゃったよ…あんまり意気がりんなさんな、あはは🤣ま、「老いの最前線」にいる気概をもってやっていきたいと、こういうことなんじゃないの? ま、せいぜいがんばって、、、
(ちぇっ!)
「アオーレ長岡」のナカドマという言葉にあれ?と思ったのですが、これ南欧やアメリカ西海岸の家のポルティコ(portico)みたいなものなんだな、と考えているうち、そうだ、ポルティコもいいけど、いっそちょっと気取ってペリパトスにすれば?と思い浮かびました。
古代ギリシアで、哲学の師が逍遥しながら若者に教えたり問答したりする場所がペリパトス(このやり方からペリパテティック、逍遥学派という言葉が生まれたそうな)。
歩きまわる先生方を黙って口開けて眺めていてもいいし、高名の師に挑む若者がいても、またそれをからかうご婦人がいても。葛飾ペリパトス、トライしてみて下さい。