朝から熱中症気味のぼんやりした頭を抱えながら早朝の電車に乗り兄のところに行きました。僕が買っていったサンドイッチとおにぎりで2人して簡単に朝食を済ませて…照明具を付け加えたり、冷蔵庫を掃除したり、ぬかみそかき回したりしているうちにあっという間にお昼…近所の牛鰻弁当、なるものを買ってきて兄と一緒に食べた。半分牛丼、半分鰻丼、結構なボリュームで950円、兄は僕の倍速で食べた、4時間ほど漬けた大根をバリバリ食べながら…僕は負けたと思いました。負けるわけです。ペンキ職人になった時早食いを学び、70歳を区切りに免許証を返しすべての仕事を辞めて…またゆっくりと元のスピードで食べ始めたからです。数年前まで僕の方が食べるスピードが速かったです。早く食べるとおいしいものがあるのをご存知ですか?最近では行儀悪く食べるとおいしいものもあると思っています…嘘です。(裏千家があるので…裏小笠原流と言うのを作ろうかと考えたことがありますがやっぱりやめときます…とにかく僕の考えた流儀というのは食事をするときにくっきりと歯型をつけて食べるという基本形がありまして…どら焼きなんかもガブリと食べて三日月形に残こす、、つまりわざと行儀悪く食べると言うの流行らせたいと…冗談です。暑いので少し頭がやられました。
教養のありそうなアメリカ女性が歩きながら食事をしているそんな風景をどこかで見ました。当時は今思うと残念ながら…あーゆーのもありかもなと思ってしまいました、今反省しています…できることなら食事はゆっくり味わいたい。とは言ってみたものの、、兄の食べ方を見ながら…結局好きなように美味しくいただければその人の食べ方でいいかもなどと、今エアコンに当たりながら、しまりないこんな考えもよしかなとも思えます。(この文章もしまりがない、わざと書いてみました)。団伊玖磨という人が…奥さんがきまりが悪くなる位結構なスピードで食べていたらしいのです。結婚式の食事を全て食べ終わりお土産に出された折に入った食べ物その場で食べてしまったので奥さんが恥ずかしがっていた、と白状しています。2人前ペロリというのは別にどうということはないと本の中で書いていました。好きなものを食べるだけ食べた人の発言を聞いていますと今日の結論で良いような気がしてきました。毎度ばかばかしい話でどうも失礼いたしました。
実は昨日の夜、ビールを飲むのも控えようと思ったほど、といいますかビールは飲みませんでした。体が季節についていかなくて参っていたのです。今日も兄のところに出かける前はいまいち本調子じゃなかったのですが兄のところに行き体動かしているうちに調整が取れてきました…結局働いたり動いたりしている方が調子が良いようなのです。古い機械と同じです休まず動かさないとたちまちさびついてしまうのです。
今日は1行も本を読んでいないのでこれから2時間位本を読みます。昔の僕の上司が…言うには…どんなに仕事が忙しくてもたとえ1時間でも家に帰って本を読むというのは何十年来の習慣だと僕に漏らしました…その上司のことを僕はあまり好きではありませんでしたし、そうきかされた時もあーそうですかと聞き流していましたが…今思うと…良い習慣だなと思います。体の調子が良くなければ本は読めない。本を読むために食事の仕方を考えるというのもいいなと今ふと思いました。やっぱり食べ方は人それぞれですね…あはは🤣
※今日の僕の結論…腹も身の内、その辺のことも考えながら…好きなように食べる。
先日團伊久磨さんの「食べるの大好き」ブログにコメントして、同じく食いしん坊だった吉田健一に触れましたが、今回また團伊久磨さんが登場したので、私ももう一度吉田健一の話を。
これは仲良しだった丸谷才一氏が書いていることですけど、
「・・・吉田さんは子供のときから食べることが大好きで、大量の三度の食事と大量のおやつを平らげ、鹿も自分を大食だとは決して思はない子どもだったらしい。そのへんのことは『胃の話』に詳しいが、つまり難しい言葉を使えば、食べる喜びが原体験だったことになる。そういう人が長じて大酒飲みになり、しかも人間について考えるとき、その考え方の中で口腹の喜びが大事な位置を占めるのは当然だろう。」
丸谷氏はまた、芭蕉も紫式部も漱石もこういう幸福のことは書いていないが、それは書くに価しないからではなく彼らは「口腹のもたらす幸福感」に気がついていなかったから、とも言っています。
これは何も日本文学に限らず、例えばヴィクトリア朝の英文学では人間の性に関しては固く沈黙を守っていて、気取り屋社会では排便の話と同様に性的側面は表現しないというルールがあったのかと思っていましたが、いや、いろんな小説を読んでも、紅茶の味がどうとかスイーツの楽しみのことなんかも出て来ない。そもそも食事のメニューに触れてある物語を読んだことがない。
私「小公子」の映画で(これは毎年クリスマスシーズンに放映されるんです)お爺様の伯爵とセドリックが大きな食堂で給仕を後ろに控えさせてスープを飲む(英語では「スープを食べる」と言いますが)場面を見て、このスープはコンソメなんだろうか、ポタージュじゃなさそうだな、などと思ったことがあります。
口腹のもたらす幸福感は、近代の発見の一つなのかもしれませんね。
(インターネットでこんな写真を見つけました。スープ皿はからっぽになっていて残念!)