12月29日(金)
昨日夜8時半からノーポイさぽーたー倶楽部、という僕も参加させていただいているポイ捨て防止グループのLINE座談会に顔を出してみた、ドキドキ!
相手の顔も見られるというやつですね。皆さんの声を聞き取ろうとスマホにぴったり耳をつけていたので顔を見る暇はありませんでしたけど面白かったです。
座談会が終わってから一生懸命音声入力で感想を伝えました。スマホは高齢者にとってこそ便利なツールで生命線であるかもしれないことを少し述べ、考えを一方的にでも聞いてもらえて、目覚ましをかけて参加して良かったと思いました。
LINEによるトーク、座談会も社交場と捉えればその積極的な利用方法を考えればいながらにして世間が広まる。距離感も取りやすい。発言しなくても雰囲気は掴める。そのことが多分一番肝心なことなのだ、そのこと、、つまり、自分自身をストレスにさらしつつ「情報を取りに行くという行為」
を通じてしか手作りの情報に接する事はできないのかもしれない。
それは参加すること、自分をストレスにさらすこと、、徐々に慣れていけばいいだけの話。立ち聞きしてくれる人を増やすこと…この感覚こそ今求められていると思います。御用とお急ぎでない方は…(立ち聞け!)車寅次郎のセリフの通りです。
機会をとらえていろいろな社交場を増やすこと、一番信頼のおける情報源になるかもしれない。
発言がないからといってつながりが広がっていないわけではない。発言しなくても近所で人が話しているのを聞いているような気分でいられることが肝心、それがその人の精神生活に安定感を与える、それは僕の状態でもある。
声にならない声を聞くための装置、、未来社会にきちんと組み込まなければならない装置だと思いました。
きっかけ作りは僕ができる数少ない社会への関わり。まだまだ工夫の余地は大ありだ。耳の聞こえが悪くなって社会的弱者になった僕だからこそ気がつけることもたくさんあるはず。
たまり場を作っても人がたまらない?!人口密度と人の親密度は反比例する、、その上、それぞれの人の持っている距離感は異なっている、、それが人がたまらない大きな原因の1つだと思う。
煩わしい人間関係に距離を置き、消費したらポイ捨て、そういう社会に僕らは住んでいる、その社会を作っているのは僕ら。
何かが聞こえる、ということはきっと需要なのでしょうね。あまり意識していないのは、夫婦二人きりでもテレビがついていたりして、音がある暮しだからでしょう。週日なら下の方で従業員の声がしたりして、沈黙というのは真夜中ぐらいのものですから。
あ、そうそう、亭主の田舎に義姉の様子を見に行っていたのですが、私たちの家(小屋)はすごく静かなところで隣の義姉やそのまた隣の義兄の家まで距離がかなりあるので、そこでは何も聞こえない時間が結構ありました(テレビがないんです)。窓の外で飛んでいる鳥もほとんど音をたてない。
義姉宅ではお喋りしましたが、87歳とあって当然老化現象が甚だしく、これがもう疲れるのなんのって。