12月14日(木)
兄の引っ越しについて甥っ子達と相談しながら…僕自身のこの10年間における4回の引っ越しについて思い出していました。ついでに、思っていることがすらすらと出てきました。こんなことを考えていたんだなと自分自身ちょっとびっくり、、そのわけは…
もともと荷物が少ないので引越し屋さんを頼んだ事はありません。押し入れはガラガラです。
非常時に自炊が出来るように道具類と食料、水、寝袋、七輪、石油ストーブ…で2週間ぐらい生き延びてやろうと思っています。
みんなと一緒に非常時を暮らすと、、僕のことですから、自分自身が怪我していなければ、きっといろいろなことに気がついてしまってフル回転に働くと思います…それはご勘弁。
「この非常時に!」と叱責の声が聞こえてきそうですね。少なくとも人の足は引っ張らない…自分自身、良い心がけだと思っています。
運良く、生き延びて、あるいは運悪く、生き延びて、まだ余力があれば…すべてのボロ家に保険がかけてありますのでその保険金でプレハブを組み立て、みんなで使い回す…といったプランです…あはは。
明日は兄の引っ越しです。
昔、今は無き(廃刊になった)週刊朝日に、有名人が住んで来た家(何度か引っ越した中で記憶に残っている住まい)のシリーズがありました。70年代だったか、80年代だったか。それを見て、いや、この私も引っ越しは結構したなあ、と思ったのですが、一つには地方出身だからで、東京生まれの人なら、他家に嫁ぐのでなければ引っ越しの必要はないだろうと羨ましかったことを記憶しています。それを何を好んでいちまるさんは10年に4回も。
考えてみると、高校出て東京に来て、学生時代も3度下宿を変わり(最初は寮)、就職してからは横浜3か所、都内2か所で結婚前に19年住んだのが一番長い、と思っていたら、あら、今の家に住んで22年ちょっとだわ。だから、ここが最長です。ここからの引っ越しのことは…考えたくないです。大半の家具や所持品は工場の庭に広げてガレージセールをやるほかありません。
私は割と気軽にいろんなものを人にあげるので、気前がいいと思われていますが、実はとにかく持ち物を減らしたいのです。幸い亭主もそれに口を挟まない。だけど彼はひどい買物症なので未だに次から次と増えて、少々人さまにもらっていただいても焼け石に水。日本の友人や親戚が「バザーに出した」とかいうのを聞くと、これも羨ましい。バザーみたいなのはこの村にはなくて、たまに何か寄付しなくてはならないときは、亭主はこの時とばかり新品を買うんです。何しろ、顧客や業者や寄付集めの人が子供を連れて来た時のために、たくさんのぬいぐるみを買い置きして事務所の棚にしまってあるような具合ですから、物が減らないのは当然です。