12月11日(月)
昨日、エアコンの取り付け会社から12時から1時の間に行きますとの連絡があり12時半ごろ2人で来て1時半ごろすべて取り付け工事完了追加料金なし…あまりの手際の良さに…びっくりしました、彼に向かって最敬礼する僕。
頭をへんてこりんにカットした若者…仕事ぶりは、すかっと見事な手際、恐れ入りました。
40年ちょっと前、墨田区向島のかつての料亭街で、外壁塗装業を始めた時、学生アルバイトニュースに応募してきた若い人を思い出しました、金髪に染め、履歴書の趣味の欄に「寝ること」と書いてきた若者です。
彼はその後1番の働き者に大変身、腕もメキメキ上げて若者たちのお兄さん格になりました。
(前にもどこかで多分2、3度書きましたが、、若いときの職業遍歴は「その世界」にちょっと首を突っ込んだという程度の経験です。
なんといっても便利屋が1番長い僕の職業、その昔々の思い出を、
またちょっと語ります : 外壁塗装業の前の仕事、、友人達と立ち上げた石の製品輸入販売業、実質的には出資のほとんどを代表取締役の友人1人が引き受けたその会社の経理担当者であった僕が、5人いた社員の1人が売掛金の不正を働いていたのを仮決算まで見破れなかった引責の気持ちもあり…さっさと辞め、仕方なく資金がなくてもできる塗装業立ち上げに着手、、
その1年後、石の製品卸しのその会社の輸入担当者だった友人を引っ張り込んで社長にして、法人で5期やって、仕事が細くなったのをきりに、休眠会社にした。
その後、僕自身他にやることがなくて1人で便利屋を始めたというわけ、個人営業でも長いこと数人の職人さんがいました、この職業で30年以上やって、普通にお勤めしていたのでは出会えない「町場」のたくさんの人たちに出会えました、
それが良かったのだと本当に、最近気が付きました。
だって人口的にもそういう町場の人々が圧倒的多数なんですもの、、ちまちまして結構こすっからい僕ら自身を知る良い機会でした…
僕は下町人情を聞かれるたびに、まずは下町のこすっからさ、あちこちに言い触らしています、これを言わずにはいられない→ロングストーリーtoショート)
(最近の2年間は兄の事、姉の事、甥っ子たちの事に思いを巡らす日々でした、、少しは彼らの気持ちを理解することができたかなと思いました、ダテに歳は取らなかった、と思いたいです)
ドイツの職人といえば、マイスターという言葉が思い浮かぶでしょうが、このマイスターというのはゲゼレ(手工業職人の国家試験)に合格した人のことです。かつてこの人たちはその資格証明書をもって一定期間全国各地を回り、一癖も二癖もある親方に使ってもらいながら腕を磨くという慣習がありました。その遍歴期間をヴァンダーヤーレといい、ヴァンダーは遍歴、ヤーレは英語のイヤーつまり年月です。
ゲーテの有名な作品に「ウィルヘルム・マイスターの遍歴時代」という小説があるでしょう。(これは「ウィルヘルム・マイスターの修業時代」の続編。)別に手工業職人でなくても、歌手や踊り子など芸人でも、料理人でも、要するに「まず他人の釜の飯を食って来い」というのがルールだったのですね。だから地理的にどれだけ遠くまで行ったのか、ということは別に問題にはならない。とにかくいろんな所でいろんな人に使ってもらって、経験を豊かにすればいい。それが遍歴。
最近、欧州では(多分アジアでも)この職人が激減して産業界は困っています。観光業も料理人や給仕が不足して喘いでおり、中にはそれで商売を畳む飲食業者も。
数週間前の英誌エコノミストにA new age of the worker will overturn conventional thinkingと題した記事があって、宝石で飾ったヘルメットの挿絵が付いていました。内容は、やがてこれらの職人が社会から大いに珍重されるようになり、報酬もホワイトカラーを凌ぐようになるだろうというもの。私などは「フン、今頃やっと分かったのか」と思いましたが。