12月1日(金)
※マネージャー物部信一について
亜紀と結婚した物部信一の母親、その(園)は信一と亜紀の結婚の数年前に既に亡くなっていた(信一の父、物部巌は定年退職し、、この後、出番があるかどうか思案中)。
その、は明治時代の政治家で昭和にわたる政権与党の影の仕切り屋として君臨にした政治家Pの曾孫。
その、は気の進まない結婚であったが父の勧めには逆らえず、言語学者、物部巌に嫁いだいきさつがある。
その、は長男信一がまだ幼い頃からの「才能」から、学者よりは政治家になってほしい密かな夢が芽生えていた。信一は子供に似合わぬ冷静沈着なところがあり、信一のその性向を見極めての判断であった。その、が見つけた美点。
その、が見つけた、すがりつくべき美点は多分に独りよがり、なところは確かにあったかもしれぬがマザコンの信一にしてみれば母に応えたい気持ちの方が日に日に育っていったのも自然な成り行き。
信一はただのぼんぼんとして育ったわけではない理由のほとんどは母親の、その、に負うところが大きい。
その、は自身がそのように躾られたように信一に対しても日本の政治家にとって欠かせない人情の機微、礼儀作法としての人の付き合い、かけて加えて「授業」は自分自身で学んだ教養としての儒教、果ては葉隠まで教え込む始末。
一方の言語学者の物部巌は人の気持ちを探るのが大の苦手、まして女の気持ちなど論外、つまり女にとって朴念仁。
その鬱憤を晴らすかのように長男の信一に政治家としての帝王学を身に付けさせるべく、周りの人間をどのように見抜き、どのように付き合い、どのように扱うかを徹底的に教えた。
マザコンの信一にとって、その、こそ今で言うメンターであり我が師。
そもそも、夫の巌はその、の信一に対するしつけの厳しさについて気づいてはいたが無関心を装い続け、家長の権威で信一には言語学者としての家業を歩ませて譲らなかった、というか耳を貸す必要を感じなかった。
妻に対して、徹底した無関心…誇り高き、その、にとってこれほどの侮辱はなかった。
(その反動は全て信一の将来の政治家としての英才教育へと向かい、信一にインプットされた政治家としての人心掌握術は、後に、亜紀のマネージャーとして遺憾なく亜紀にアウトプットされていくことになる)
その、と合体した信一は、父、巌を難なく欺き、言語学についても政治力学の補習位に考えて平々凡々と仕事をこなし、学者としては平凡な三代目として、代々続くファミリービジネスの対面をなんとか保っていた。ボンクラ学者と影でささやかれていても、なんの痛痒も感じなかった、むしろ隠れ蓑としての家業に感謝している位だ。
本業と副業の逆転現象は、信一とって限りない幸福感をもたらしていた。亜紀と「組んで」幸せな信一であった。亜紀は信一の傀儡、おもちゃ。
※ 051 以上
昨日夕方ちょっと前、四つ木御殿へ行って鏡の前につける大きな本棚の側板を取り付けた。
少しでも仕事を進めておくことで新しい局面が見えてきて、次の段取りを考えることにもなるので、確実に仕事が進んでゆきます。死ぬまでこの気持ちを保ちたいものです。
昔から言われている、うまずたゆまずが、精神衛生上もよろしいと思います。
少しの行動が、誰かさんが言った、(日めくりカレンダーをめくるように)その日が残りの人生の最初の日と思える。
(今日は午後から兄の所へ行って参ります…まずは物見遊山のつもりで施設に体験入所してもらうことが当分の目標です。ピクニック気分でお茶やコーヒーが飲めるようにポットも持って、甘いお菓子もどっさり用意しようと兄の家族に呼びかけました。楽しくなきゃ誰が好き好んで施設へなんか入りたいものですか、、あはは)
そのの夫の巌、こういう男、いるいる、です。言語学者という点がちょっとユニークかな、いや、文化人類学者で女出入りの激しい夫を持った人も知っているから、学者というのも一皮むけば、というのはよく分かります。稼業の継承を子に強いることの愚かさ。でも政治って案外簡単に継がせられるものかもしれない。頭脳や技能でなく、性格・性癖が成功のカギで、母親はそれを割合に簡単に(胎内にいる時から既に?)操れるようです。要するにマザコンがものを言う。その母親そのが亜紀との結婚前に亡くなっていたのは幸運ですね。でないとどんなバトルが繰り広げられたか分からない。あ、巌もたまに登場させて下さい。老残の身について、ちょっと覗いてみたい気がする。老残と言えば、以前に女たらしカサノバについてちょっと読んで、「カサノバに老残の日は短かけり」と詠んだことがあるんですが、女たらしの長寿というのも何だか哀しいような気がしませんか。上記の女たらしの学者さんは、夫人に先立たれ、今の仕事は娘夫婦の愛犬の世話だって。娘さんはバリバリのキャリアウーマンだから、昼間はパパがその留守宅に行ってワンコと遊んでいるそうな。