11月28日(火)
雑談
手の甲の老いの血筋や秋終い
今、立石図書館からもらってきたリサイクル本見ながら…あーそうだ押し入れに切り込みを入れてコの字型に残ったところを
①カウンターにしよう
②壁一面を奥行きの薄い本棚にしよう
と、思いついた。
この2つの工夫でちょっと図書館風…をかもしだせる。
最初の俳句は…そんなことを思い浮かべながらノコギリを持つ我が手の甲を眺めつつ作った句です。
脳は体を通じてしか出力表現できない、、とおっしゃった人がいる、養老孟司。
ノコギリを持つ手、鉛筆を持つ手、絵を描く手、、手は突き出した脳である、、とか。耳の聞こえが悪くなった僕は最近時々手話の本を見て簡単な手話を覚えるようにしています。
歳はとっても年季の入った技術で舟を漕ぐ手は現役、、なんて歌がありましたよね。
男らしさ、女らしさの新しい形を小説の中で今、どのように表現するかなぁと考えていて
手は、その表現をするのに最有力な一つかもしれないなと思いました。
男の手も女の手も美しい、年齢とは無関係。
私もどちらかと言えば瘦せ型ですが(それに筋肉もないので、内臓が下垂気味)、血管はどこも隠れています。
手のスケッチ、自分の手ならどうしても左になるのですね、左利きは別ですが。手の表情と言えば、私が「凄い!」と思うドイツ人画家のデューラーに「祈る手」という作品があります。また、もう一人の「凄い」画家ミケランジェロの天地創造の絵にある神様とアダムの手も有名ですね。顔・頭意外に画材になる人体の部分は手ぐらいのもの?