11月21日(火)
四つ木と立石をつなぐレールが既設の上りと下りのレールの横に出来上がってきています。立石駅の北側商店街も鉄柵などで囲まれて塞がれました。
いずれ見慣れた街が見慣れない街に生まれ変わり、新しく生まれる人たちの見慣れた街になっていく。
ふと気がつけば取り残された感じがする人間の一生…なんてね、ちょっとおセンチ(感傷的になることをこんなふうに言っていた時期があったと思います、女性言葉かもしれません)になって、ふざけてみました。
小説を書きだしたせいでしょうか…いやでも過去を振り返ることが多くなりました。
2014年に母が亡くなったのですが、直近のこの10年間すら思い出そうとしなければ細部はぼやけていますが、、いろいろなシーンを思い出そうとすれば風景となって再現できるのが不思議です。人間の脳の記憶のキャパシティーだけとってみても人の一生のうちに、ほんの1部しか使っていないと昔から言われてましたよね。
一生使っても使いきれなかった、後の残った分は…次の世代に引き継ぐためにある。
こんなことを考えられるのも歳を取ったおかげだと思います。
こんなふうに不思議なことに気がつけるのが人間の晩年なんだと思うと、またまた、おセンチになれます。
そんな今日この頃が…今まで持てなかった感情で…ここ2、3日少々持て余してもいる。
例えて言えば…そう、、高見順という人がどこかで書いていたあの感情、、ご自身が持病でまもなくなくなる1週間前位に乗った電車で、電車から見える、目の前を通り過ぎる見慣れた街の風景や、社内に乗り合わせた、身の回りの見ず知らずの人々にたまらない懐かしさを覚えるあのシーン、、に、それほど遠くないかもしれない感情かなと今気が付きました。
そんな気持ちを抱いたまま、理屈で言えば…やってられるかよ…という事どもも…順送りかもしれないので、やってやろうか…と泣き笑い。
頭の中だけで進行する小説と、頼りない現実、それでも確実に存在してゆく世界と交錯する…これが老年期だと言えなくもないファンタスティックな世界もう少し楽しませていただきます。
あー、よく寝てお腹もすきました。誰かにありがとう。
晩年、もう余り先のない年齢。「団塊の世代」とやらでそういう年齢層が結構厚いのは悪くないですね。何たって、民主主義では数が力だもの。どっちを向いても後期高齢者、となると、政治家たちにも「他のんまっせ」と言える。聞いてくれないと、次回の選挙では票が減るからね。
というのは脅しですが、そういえばいちまるさんも今月後期高齢者になられたんですよね。確か11月中旬がお誕生日だったから。
これからちょっと外出して帰宅は明後日の午後になります。いい子で留守番していて下さいね。