11月19日(日)
マッケレル先生は、教室の中央の椅子に腰掛けて足を組んでみんなが意見を言うたびにそちらの方を向いて耳を傾ける。
亜紀はマッケレル先生を囲む形に集まった学生の後ろのほうにいた。
アメリカが介入している南ベトナムの戦争の徴兵拒否をマッケレル先生がなぜ、今日の授業で持ち出したか、亜紀には察しが付いていた、歳の離れた弟のグレンさんがベトナムの最前線で負傷し、命からがら帰還したものの、戦場で覚えた麻薬から抜け出せないままに車椅子の生活を送っていることをマッケレル先生の口から聞いていたからだ。
亜紀はマッケレル先生を見たりみんなの背中を見たり振り返る友人たちの顔を見渡すようにしてから静かに語りだした。
女も銃を持って戦えばいいんじゃないですか。敵に向かって弾丸をぶちこむ。それがどんな気持ちかか女も知るべきだと思います。
相手が振りかざしてくる正義に向かってこちらが正義だと言って対抗する。対抗しなければこちらがやられてしまう。そうなったらどちらが正義かなんて議論している場合ではない。相手をやっつけなければこちらが滅ぼされてしまう。
人間の歴史は戦いの歴史でしたよね。
戦う双方に正義は自分にあると思っている限り敵対する相手と戦争は避けられない
より多く相手の国の人間を殺せば勝利につながっていく。
幸い武器があれば男と同じように女も戦える。女が戦えないなんて単なる偏見です
男の大統領、男の聖職者、大企業の社長はみんな男です。子供を産むのも、子供を育てるのも、身の回りの世話を焼くのもみんな女です。こんなお仕事報酬がないだけで男に軽んじられているような気がいたします。こんな役割分担誰がいつ決めた。女が権力を持たない限り男の権力による横暴は尽きることがないと思います。
政治も経済も全て男が牛耳っている。女は男の肋骨から生まれたと聖書には書いてありますが、それが何だと言うのでしょうか、体の構造は男も女もない、ほとんど、というか全部同じです。その〜、なんといいますか…生物学の本に書いてあるように… (亜紀は、空咳をして気を取り戻す)。
それゆえに女は男の肋骨から分岐したかもしれないけれど、由来はともかく、付属品ではない。男にできる事は女にも全てできる、私はそう思います
ここで思わぬところから拍手が来る、アシスタントのジョン・クワナベとマッケレル先生だ。
普段はおとなしいスーザンが大きな瞳をもっと見開いて…口を開いた。
女の大統領が生まれるのに50年も待ってられないわ、、聖職者だってそうよ…考えてみればどうしてなのかしら?
アキに言われて初めて気がつくなんて私どうかしてたのかしら…みんなはどうなの?
小柄なアンも黙っていられない…私だっておかしいと思ってたけど女がやっているハウスキーパーの仕事なんて大した事じゃないと男が思っている以上、金を生み出さない家事は価値がないと思わされてしまったのねきっと。馬鹿げているわ、と口をとんがらす。
次の授業が始まる時間になっていた。神学担当のミス〇〇がマッケレル先生に…目配せでGo a headそのまま続けてとサインを送ったが…
マッケレル先生はミス〇〇に、すまなかったと謝り、教室を後にした。ジョンも後に続いた。
亜紀はマッケレル先生が、考えているよりはずっと深く男と女を観察している。観察は彼女の鋭い武器。すでにこの頃から亜紀はペルソナを操る魔女になりつつあったのかもしれない。
女も男に加担している。戦後20年も経つと言うのに、今の今に引きずっている女の不遇、、男の嘘に口をつぐみ、つまらない男の見栄に付き合い、表面的には、家庭の平和のために、反論もできず忍従の日々の構図は、もしかしたら女が作った隠れ蓑では無いのか、、20歳そこそこの女である亜紀は、母親の順子から、折に触れ日本の良妻賢母とは何かについてレクチャーを受けていた。アメリカの良妻賢母と、どこが違うのか亜紀にはさっぱりわからなかった。
このところ、山本周五郎の、それも主に短編を読んでいます。以前に何冊か読みましたが、いずれも女性の本来の美徳を強調し、見方によっては(私の見方もですが)男にとってこの上なく都合がよく心地よい女ばかり。それで「日本婦道記」なんて道徳・修身を説くようなお話はもういいわ、と思ったのですが、2年前にドサッともらった文庫本の中に文字が多きめの(1980年頃までの文庫本の字の小ささにはまいる。当時は老人の読者が少なかったので、高齢者の眼の疲れなど無視されていたのでしょう)短編集があったので、退屈しのぎにまた読んでみました。お化け屋敷の珍談など気晴らしになったし、「笄堀」とか「横笛」などはなかなか面白く、しかしいずれも相変わらず男から見て称賛すべき女ばかりだなあ、と改めて思いました。忍耐、献身、勤勉、貞節、そしてポイントは表に立たないこと。男に伍して、なんてとんでもない。男と肩を並べてもらっちゃ困る。
でも、忍従を強いられた昔の女について読み聞きする中で、私が思うのは、日本でも他の国においても、虐げられた女よりも虐げられた男の方が遥かに多かったのではないか、ということです。ほんの一握りの権力者とその従者を除けば、普通の男は長い歴史の中でいやおうなしに武器をもって戦わされ、一方で家族を養う責任を担わされ・・・太平洋戦争で死んだ250万人の大半は男だった。女に対する優位を誇った罰でしょうか。しかしそれならば、一番罰せられるべき女性差別主義者の多くは生き残ったではありませんか。
今でも戦争があると男が銃を取って戦場に赴く。これだけ女が「平等」を主張するなら、女も弾をくぐって戦うのが当然なのに、女が何も言わないばかりか、叱られてばかりいる男たちもなぜか黙っている。(同じ町にウクライナからの難民もいますが、当然ながらほとんどが女性で、美容院やネイルサロンやカフェで時間をつぶしている。)
もちろん歴史の中では、生来の自分の能力を発揮できず埋もれ木のままこの世を去った女も多い。(陽の当たることのなかったキュリー夫人たち。彼女たちの物語を書いてみたいと思うくらい。)本当にもったいないことをしたと思う。でもこの点でも、貧しさや不運から本来の力を活かせず、日々の糧を妻子のために得ることにあくせくして、苦悩の中で死んでいった男たちの方が遥かに多いはず。
若い娘さんたち、自分を犠牲者として語るのを止めて、広く人類全般の昔と今を考え、間違いだらけの歴史と今後の展望に思いを巡らせてくれませんか。