11月15日(水)
1960年代半ば
籾二を兄と慕うタミは、栃木県で陶芸家気取りの父、田畑作治、とつつましい暮らしをしていた。
陶芸ブームの牽引役とも言われている陶芸作家の登竜門の東京で開かれる陶芸展で数年前(1960年)に棚ぼた式に準入選を果たして以来父親の作治は地元の陶器製造工場から調整済みの粘土を分けてもらい、作品を作っては近所の知り合いののぼり窯や電気窯を使わせてもらっては作陶を続けている。
そこに数年前の陶芸展でタミの父田畑作治の作品を推薦した著名な陶芸家の谷野陶泉が訪れた。益子で着実に陶芸家として実績を積んでいるグループに招かれての懇親会の帰りに立ち寄ったと谷野はタミの父親に告げた。少し酒気を帯びているようだった。
こんなむさ苦しいところへようこそおいでくださいました…
タミが前掛けを外してかいがいしく茶を出す。谷野はタミに目がゆく。タミは陶泉に会釈して下がる。後ろ姿をじっと見つめる陶泉。タミはスカートに長袖のシャツの袖を少しまくっていた。病弱で華奢な体つきゆえに透けるような腕や首周りの白い肌がいやでも目につく。
陶泉は少し酔った勢いもあり、とっさの小芝居を思いつく。大型の手提げカバンの中から小さなスケッチブックを取り出す。朝鮮の古い白磁の作品群についてその追求をライフワークと言ってはばからない陶泉は、、
誠に失礼なのですが次の作品の着想を田畑さんの娘さんから今いただきました、ちょっとだけスケッチをさせていただけませんかと作治に頼む。
好色そうな陶泉の目つきに気がついていた作治は安請負する、さようですか、タミ、少しの間モデルになってさしあげなさい、といつもと違う気取った言い方でタミに告げる。先生にはお世話になりっぱなしで何もお返しもできませんで申し訳ありません。
ちょっとそこの仕出し屋から酒のつまみなど買って参りますのでごゆるりなすってください。
どうぞあちらの部屋をお使いください、と作治は妙にさりげない。しっかりと照明のとれるその部屋に2人を残して、、ほんの20分ばかりで戻りますのでとタミを見ながら小さな声で伝え、陶泉に軽く会釈して作治は出かける。時間を確かめて外に出る作治。
明るく照らされた4畳半でタミは少し怯えている。タミさん、とおっしゃるのですね、いきなり不躾なお願いでごめんなさいね…スケッチはすぐ終わります、タミさんは朝鮮の白磁の作品のように美しいです、、陶泉は調子に乗って口もなめらか。陶泉はいそいそと手慣れた手つきでスケッチブックを広げ、いろいろなポーズをとらせては、次々と巧みにスケッチしていく。
ほんの5分もたたないうちに数枚の走り書きを書き終えると、タミの後ろに回って背中のスケッチさせていただきますねといってタミの後ろに回る。陶泉はすでにたまらなくなって後ろからそっとタミに抱きつく、タミは体が硬直してしまって動けない。白磁のようになめらかです、僕はこれを作品で再現し、、したいです、タミさん、、陶泉は張りきった股間をタミに押し付けた、タミは震えている。陶泉はタミのシャツのボタンを乱暴に外しながら上着を脱がせる、全部外し終わらないうちに我慢しきれなくなってシャツをまくり上げる。小さな乳房の突起に唇を寄せる。タミは恐ろしくて声も出ない。
すっと障子が開いた。作治が鬼の形相で突っ立っていた。
何をしやがったんだこのやろう、作治は陶泉の襟首をつかんで殴りつけた。す、すまん、ちょっと体の線の具合が気になって、、言い終わらないうちに作治はさらに手を挙げた、、すまん、畳に伏した陶泉を足蹴にした、、。
圧倒的な立場の差をひっくり返す作治が初めて味わう快感だった。江戸時代からの工芸の名家のこいつと情けないワシの有り様、、もう一発と思ったが、さすがに自分の企みの卑劣さに気がついていた。さらに惨めになるのは目に見えている。その直後、猛烈な慚愧の念が襲ってきたが、もう引き返せない、金をせしめてやる。
陶泉は上着のポケットをまさぐり、膨らんだ封筒を作治に押し付けて渡すとほうほうの体で家を出て行った。スケッチブックが残されていた。
封筒の中身は金だった。おそらくは地元の陶芸家たちから渡されたお車代… 10万円入っていた。
作治は後日、スケッチブックと交換にさらに10万円を送金するように伝えると陶泉は作治の所へ直接出向いきて、さらにどう悪用されるかわかったもんではないスケッチブックを10万円と交換した。作治が封筒を開けると20万円入っていた。作治は俺は奴が怖がるほどの悪党ではないのに、と思った。一方の陶泉は、もっと高額の金を封筒に入れようとして止めた。興奮して描いたタミのスケッチは朝鮮の白磁の古陶のような、衣服の下に隠されたたおやかな曲線を素早く確かに写しとっていたのだった。
作治はこれを機会にぷっつりと焼き物造りを断念した。製陶所の雑役夫に専念することになるが、わずかな収入は作治の酒代に消えていった。
この頃亜紀はアメリカのボストンの大学へ通い始めている。
籾二は教員免許を取り郷里の中学校の体育教師のポストが内定していた。
タミひとり、明日の米の心配をしている。籾二にいちゃん帰ってきて。
びすこさん、反応早すぎ…脱サラで陶芸を始める方の事情今アップしました、今は僕が書いたよりはさらに環境が良くなっていると思います。アートなんてきっともっと本当に身近なものになるべきだと思いました。
こういう展開になると、陶工についても勉強なさる必要があったのでしょうね。こちらに在住の日本人で特に引退後に陶工(Keramikerと言います)になる人も結構います。本気でやればとても深い分野だけれど、別に若いときからの積み重ねとか数十年の精進とか無くても、素人が手を出せるのでしょうか。こちらの趣味陶工の人達が言うには、土曜市やクリスマス市で作品を売ることもあるそうです。
1960年代半ば、亜紀はボストンの大学生。彼女1946年生まれという設定なので、数日前に気づいたのですが、ドナルド・トランプと同い年ということになります。このトランプさん、祖先はドイツ人で父方のお祖父さんはうちの亭主の郷里に近い村カルシュタットの出身でした。ワイン街道沿いの小さな村です。トランプは社会主義志向のドイツ人には全く人気がないので、村の誰もそれを自慢していませんが、こんな小さな村からアメリカ大統領を出したというのはちょっと注目に値するんじゃないかなあ。
偉人の出身地にはだいたい胸像などがあり、家も保存されているものだけど、トランプの父祖の地には何もないようです。モーツアルトの場合など、ドイツ南部アウグスブルクの町の古い長屋に「アマデウスの祖父の家」であることを示すプレートが掛かっているのに。
この長屋は多分ドイツ最古の集合住宅で、今も使われています。ドアの上には「煉瓦職人フランツ・モーツアルトは1681年から1693年まで住んでいた」とあって、ここだけは博物館になっていますが、そこを除けば一般人用で、写真の3つのドアのうち右端は普通の住人の出入り口です。