11月11日(土)
1970年代半ば
亜紀は東ケイ子にコンタクトを取った。物部信一の知り合いで、信一の父、巌/いわおの教え子だ。年齢で言うと亜紀よりは7年先輩。世間ではウーマンズリブの闘士と言われているが、本人はいたって普通。
物部信一の父の言語学者を、恩師と慕う(表向き)一見、学究肌。赤い気炎をあげるでもなく物静か。淡々と新聞や雑誌で乞われるままに世間で取り沙汰されているウーマンズリブとは何かの解説を書いている。
(戦後30年近くにもなるというのにアメリカに解体された日本の家制度にまだしがみついている男たちへの異議申し立てと同時に女たちの惰眠をもやんわり指摘して、その振幅の幅の大きさと指摘の仕方がユニークな口調のおかしさ故に批評の中身よりもむしろ人気を得ているところもある。賢い女の作戦勝ち…亜紀はつとに東ケイ子に目をつけていた)
勘の良い読者には、男たちの覚醒を求める語り口の裏に潜む女たちへの指弾もまたボディーブローのように効いてくるのだった。したたかな女。
亜紀は同志を求めていた。男では同志にならない。すぐに擦り寄ってくる男が多すぎる。
金で女を買いなさい。頭を下げて、ちゃんと授業料を払って女に教えてもらいなさい、と女が言うべき。日本では男が甘やかされ過ぎている、と東女史(女史、、という言い方懐かしくありませんか?)は高ぶった風もなく、さらりと、初対面の亜紀に言ってのけた。亜紀は、すっぽり東ケイ子にはまった。
ケイとアキでいきましょうかと亜紀がタメぐちで提案すると、あっさりオッケーが出た。
で、亜紀が、お互いにほぐれできたところを確認し…手短に…
「信一から全て、多分失礼でなければ全てと言わしていただきたいと存じます…伺っています、、」とケイの顔を覗き込むようにして少し間をおいてから
「もちろん全てではありませんね、きっと…」とお茶を濁した。
亜紀のあまりといえば唐突な言葉に、ケイはいきなり顔面を殴られたようなショックを受けていた。意識が震えた。
しばらく無言。さらに無言。
2人は睨み合ったまま。時々目をそらせるケイ。身じろぎもせず見つめる亜紀でいたが、そのじつ、ケイの震えの深淵にたじろいでいたのだった。
「信一さんから聞いたのですね?」
「はい…多分ほとんどすべて」と亜紀が応じる。
「信一さんのお父上と私のことも?」
「Yes」
「信一さんと私のことも?」
「Yes」
長い沈黙。
ケイにとっては針の筵に座っている気分。まな板の上の鯉になるしかないとケイは観念した。
「信一さんのことですもの…洗いざらいあなたにお話したと思います」
(13歳のシンイチがケイのおもちゃになり、20歳の学生だったケイがイワオのおもちゃになったこと全て…亜紀はそれをケイに言う必要がなく、口にすべきではないと直感した)
アキは同志を求めていた。ケイも今まで気づかなかったものの、求めていたものが目の前に現れたと思った。
「お友達になれますかしら?」
「ぜひ私の方からお願いいたします」と、亜紀は日本式に頭を下げる。
アキとケイは合体した。
(新宿の紀伊国屋通りにある2階の喫茶店から見える師走の街の夕闇に、雑多な目的の男女が景気停滞の不安も知らぬ気に右に左に行すぎるのを見下ろしながら、亜紀とケイは冷めたコーヒーを間にして、しばらく腰が抜けたように席を立てずにいた。
何を話して何を話さなかったのか、頭がぼーっとしていく中で、ともに体の芯は熱い、、亜紀とケイ、、脱力したケイの合わさった両手を亜紀は両手で抱えこんだ。ケイの両手の冷たさを感じながら亜紀はケイの視線の先のビルの陰の向こうに沈んでゆく見えない夕日を見ているケイを見ていた)
人間関係を含めて、これは都会の光景ですね。亜紀もケイも翔も都会の人。これは褒め言葉でもなければ批判でもありません。いちまるさんは東京に生まれてそこで育ったから、都会っ子なのは当たり前のこと、ご自分で自覚することがないのも自然です。だって人は二つの土地で生まれることはできないもの。
私は土佐の田舎の出身ですが、すでに高知市あたりの同世代の出身者とも、ちょっと違う生活・空間感覚があります。なんでしょうね、これ。(不思議なことに、ドイツ人の亭主とは感覚の奇妙な一致があります。)
高校の世界史で習ったように、ドイツでは中世に「都市の空気は自由にする(Stadtluft macht freiの妙な訳で、都市は自由をもららす、というほどの意味)」という格言がありました。これは都市を囲む壁の中に入ってしまえば、農奴でも自由になれたことを言うようですが、確かに空気そのものが自由の気で満ちているように感じることもあります。いちまるさんの創造した登場人物は、そういう空気の中で生きているように思えます。