11月9日(木)
コバンザメ…ご存知ですか?
小判のような吸盤で他の魚にくっついて…その魚の餌のおこぼれで生きて行く魚、、たまにくっついた当の魚に食われてしまうこともあるとか…くわばら、くわばら
トプコン(東京光学)の総務部にいた方に…いちまるさん(のやり口)って、コバンザメみたいだね…と言われたことがあります。
漁夫の利みたいにして仕事をとっているやり方をそうおっしゃったのだと思います。その方との話し合いが、のちに、特に資金がなくても始められるペンキ屋を始めるきっかけのひとつにもなったのですから世の中どう転がるか分かりませんよね。
コバンザメの話をしたのは他でもありません…この小説の成り立ちは立石図書館なくしてはあり得ません。月末に出されるリサイクル本(10年から20年位前に出版された本)が主たるぼくの資料です。小説に関係しない本を探すのが難しい位どの本も参考になります。
(書かれたもの、描かれたものの不思議さに取り付かれています。その時真実だったものは時間を経過しても真実、その時偽りであったものは時間を経過しても偽り…経年変化はどうなってる?
後から、その文章を笑うことはできる、きっと誰だって。でも、そんなことが何だと言うのだ。つまらない言葉の裏に人は大切なものを忘れてくることがある。でも忘れるのではなくてどこかにちゃんとたたんで置いてあると思ってみたらどうだろう。だから、それは意識の底に沈んでるだけ。ちょっと掻き回せば生き生きとまた動き出すこともあるだろう。そんな装置がきっと人間の意識の中に潜んでいるに違いない。僕はそう思う。
いつだってその人の言葉を思い出せる、その人の微笑みの裏に隠された悲しみも思い出せる、ぱっと花が咲いたように輝いたと思ったら一瞬のうちに奈落の底に沈む人の顔だってその気持ちごとそっくり全部とってあるのだ、だからこそマッチ売りの少女は生きているし、フランダースの犬だって今にその呼吸を伝えてくる。
ディズニーのバンビの映画を見てかわいそうだと映画館から泣いて帰ってきた兄の顔を母は覚えていたろう。そして兄は母に自分が見つめられている意識を自分の内なるどこかの何かで受信したはずだ)
つまり何が言いたいかといいますと…人様が処分したものの中から宝探し…捨てる紙あれば拾う紙あり、、立石図書館にくっついてそのおこぼれにあずかりながら、しょうもない小説書いて暮らす僕は…コバンザメ、、あはは🤣
(こんな調子で小説小休止させていただくときは、小話小噺小咄、こんな話聞きました、あんなこと始まりました、口からでまかせで、お茶にごしますね)
捨てられた物の中から利用可能な物を探し出す。これ、日本は得意じゃないでしょうか。私が思い出したのは、レアアース(希土類)の回収技術です。10年余り前に中国との関係が悪化して、希土類の9割以上を算出するこの国がレアアースの輸出を停止すると言い出した。この元素は電池やダイオードや磁石には必須なので、さあ、産業界は困り切ったのですが、その後、回収技術を向上させていろんな部品からレアアースを拾い出して使うことにして、急場を凌いだ。聞くところに寄ると、金も日本で産出する量は極端に少ないため、やはり回収技術が進んでいるんですってね。「もったいない」の精神が生きている。
他の国に意地悪されるたびに、それを迂回する技術を研究する、というのも日本ならでは。喧嘩せず、屈服もせず、第三の道を探る。資源極貧国はそうやって凌ぐほかないけれど、それを結構楽しんでいる国が日本ですね。リサイクル本を活用するいちまるさんみたいに。