10月23日(月)
お腹の子は祥太郎さんの子ではありません、おそらくは私が相手をしたアメリカ人の子です。私は捨てられるのですか?
千枝の率直な吐露に祥太郎は絶句した。しばらくしてから…千枝の、おそらくは崖から飛び降りるような覚悟で口にした言葉を頭の中で繰り返してから、千枝を一人ぼっちにしない視界に捉えて
「…すまないがちょっと1人にしておいてくれるか?」
祥太郎は、頭の中の戦場に身を置いた。すぐさま耳の中に爆音が響いた。
大きな蜂のような薄い鋼鉄の戦闘機を塊ごと、戦艦にぶつけて、まさに虫けらのような無念な最期を遂げた自分と同世代の人間たちがそこにいた。海に浮かぶ水漬く屍にさえなり得ず粉々になり、あるいは餓死して山中に倒れた異国の地で命を落とした戦士たち、犬死にとしか言いようがない無残な死。
殺す人間と殺される人間たちの屍を踏んで死屍累々とした殺人の繰り返し、、現場にいなかったことをいいことに見ないふりをして頬被りをしている俺、、
千枝の身の置き所なく小さく丸まった体を見つめながら祥太郎は、、しばらくして、迷いを振り払うように大きな声で怒鳴った…あんたを捨てるって事はこの俺を捨てるってこと、、戦争で亡くなった人の生まれ変わりだろう…祥太郎は、ごくんと唾を飲み込んで、胸の中でまず自分に言い聞かせ、絞り出すように静かに口にした、、
「俺たちの子にしようよ、下ろすなんてもってのほか、俺たちが生まれてくる子の親だ、、いいな、、」
千枝は、祥太郎に手を合わせた…そして嗚咽した。自分もまた望まれない子であったのだった。
数ヶ月後、千枝は子を産んだ。その子は祥太郎にとっても千枝にとっても複雑な思いはあるものの、望まれた子、であった。選びとられた存在である。
千枝は子供を産んだ後、その子を自分の手に抱くこともなく、なくなった。祥太郎は、慣れない手つきで…意外と持ち重りのするその物体を胸に抱いた。女の子だった。千枝に出会ったあの日のようにからりと晴れ上がった秋空に無骨な腕の中でおさまっている授かった子を差し出すようにしてからつぶやく、、アキ、この子はアキ。しばらくして「亜紀」、と字を当てた。
(とても物語を続ける気分では無いのですがここが職人の悲しいところ、少しでも仕事を進めておく、きっと明日は今日よりマシ。
始めた仕事は終わらせなければならない。それが無理なら仕事を請け負わなければ良い。
兄の深剃りが効くブラウンの電気シェーバーが届いた。荷を解いて中身を取り出し…解説書をよく読まなければならない…今日はたったそれだけの仕事をしよう。
実は昨日の講演会はほとんど聞こえなかった…でもよかった。雰囲気は掴めたし、耳が聞こえない人の悲しみがちょっとだけわかった気がした🤏
今、きっと、こんな話をしているのだろうと会場の雰囲気と目の前にいる2人の口元を見ながら適当にうんうんと相槌を打っていく「あいづちマシン」に徹してみた。意味の伴わない形だけの相槌がこれほど疲れるとは思ってもいませんでした。それでも途中休憩を入れた2時間はあっという間に過ぎていった。ごーぎゃんさんの隣にいた、るみさんが、飴玉をくれたので口に含み、包み紙だけ本人に返した)
私は昨日、もらったキャンデーの包み紙がとても洒落ていたので、キャンデーをしゃぶりながら包み紙で鶴を折りました。(噓じゃないわよ、写真見て)
望まれぬ子、かつてはどこの国にも山ほどいたと思います。望まれて生まれても、病弱だったりすると捨てたくなった親も。私の場合もそれに近かった。母は何でも平然と口にする人で、知り合いの、障害を持って生まれた子供が亡くなったと聞いて、「それはよかった」などと言い、驚いたことに父も祖父母もそれを非難しなかった(社会福祉も疾病・障害保険も整わぬ時代だったとはいえ)。子供ながらに「母性」神話など全く信じられなくなったことは、それこそ「よかった」のかもしれません。
ずっと前のこと、宮本輝さんのエッセイを読んで知ったのですが、彼は父親が50代のときの初子で、お父さんは幼い輝さんに「死なんといてや。生きていてくれさえしたら他には何も望まんよってに」と言っていたそうです。こんな親もいるのだと感動して泣いてしまいました。