10月17日(火)
近未来シーン
宇宙ステーション…中国の宇宙ステーション、アメリカの宇宙ステーション…特記すべきは…日本の宇宙サービスステーション。
そこに宇宙ステーションのメンテナンスに関する仕事が回ってくる。
一口にメンテナンスと言うけれど、細部の情報がわからないと動きが取れないので結局は宇宙ステーションの設計図から見直すことになる。場合によっては基本設計、つまりどのようにして設計を進めていったか、その考え方を追求していかなければ適切なメンテナンスはできない。もっと言えば、修理した箇所と全体とのバランスをとりながら、手探りで修理するしかないことが多く、いやでも情報が集まってくる日本の宇宙サービスステーション、、世界の見守り役、縁の下の力持ち。
宇宙空間のゴミ回収も日本のお家芸、、そのゴミの分別収集の途中で素材の分析その他をやらざるを得ないのでますます情報が集中すると言うわけです(日本は世界の交通整理ごみ処理係、株式会社で言うと総務部庶務課営繕係、学校で言うと昔の用務員さん)
世界のよろず相談所兼ゴミ処理センター…思えば…日本は江戸時代世界一のリサイクル社会だった。
日本は世界の臍/へそになる、、へそのない人間をイメージしてみてください、なんか間が抜けている。
(戦後アメリカ人が来て日本の肥桶をハニーバケット?ボトル?とか呼んで面白おかしく写真に撮っていた、そんな写真集を最近見た。
面白がる対象ではなく学ぶべき状況だったのに…肝心の日本人でさえ頭をすっからかんにして効率第一主義で今も突っ走っている)
ロシアと北朝鮮は対面上は共同…実質は中国の指揮下に入る。
ところでその頃、つまり近未来、すっかり歳をとった亜紀は何をしているか、、
言葉が人間にどのように作用するかの研究センターの所長、、これには亜紀の亭主(言語学者)が当っていた。
亜紀は言霊財団(もう少しもっともらしい名前にする→コトダマス:こと騙す/財団?)の会長に収まっていた。民間と国、イニシアチブをどちらが取るか、当該の中央官僚グループとの確執がこの小説の1つの山場。
一方の株式会社意識センター、(こちらも、もっともらしい名前に、例えば(株)イッシキセンター:いい指揮/センター)。この会社を亜紀の一人娘(籾二との間にできた子)が、母親と対立する形で社長をやっている。こちらも世界に散らばる一匹狼のハッカー、学者が集まっている大組織のハブ(ネットワークの芯)になっている。言葉以前の意識が人間を人間たらしめているという基本原理で集結した。
言葉が意識を活性化するのか、意識が言葉をコントロールするのか/体のシステムと脳が互いに呼応するような関係の追求に落とし込むべきなのに、なぜ紛糾してしまうのか…組織同士の議論の焦点をめぐって覇権争いにエスカレートしていく。
意識とは何か、言葉とは何かがこの小説のテーマ。意識と言葉が社会を作っていると仮定して物語は進んでいく。
テーマはもう一つある。娘から見た父母、母から見た娘とその父、父から見た娘とその母、、小説で設定したのは特殊なケースかもしれない。でも僕はどんな親子関係も文化が作った特殊なケースと言えないこともないと思っています。
母と子の関係、、子と父との関係をベースにして、それぞれがそれぞれの社会的関わりの中で格闘していく、誰と、何を、何のための格闘になるのか、物語の進行の中で浮かび上がらせたい。
まあ、ちょっと先を急ぎすぎました、、今日のところはこの辺で…。
明日は多分…時代が物語の最初のほうに戻って…祥太郎と、国立/くにたちのサナトリウムに入院している画家〇〇との交流について…気になるシーンを描いてみたい。
結局パッチワークで仕事を作っていくという事はこんな風になるのかなあ。パッチワークをさらにつなぎ合わせていけばとりあえずもう少し大きな1つの作品にはなる。
もしかしたら人間って、、本当は…こんな風にして過去を行ったり来たりして現在を生き、未来さえも思い描きたいものなのではないだろうか、、そんな想像さえ、スタートして1週間も経っていないのに考え始めています。
宇宙ステーションと言えば、今の携帯とかナビゲーションシステムはすべて人間が宇宙に打ち上げた衛星があって初めて可能なわけですが、もし何らかの理由でこれら衛星が一斉に機能しなくなったら…私たちの暮らしは50年前に戻るだけで済むのだろうか、と考えることがあります。自動車電話が庶民の間に現れたのは80年代だった、それから携帯、その後にブラックベリーとか言うものが話題になり、そしてあれよあれよという間にスマートフォン。
こちらで暮らし始めた当時、少し慣れない土地にいくときはいつも紙の地図を持参して、途中でルートが怪しくなると車の中でそれを広げたりしたものでした。のどか、というべきか。
このところ、ドイツの古いサスペンス物やアメリカのドラマをYouTubeで見ることがあるのですが、「なんでスマフォで連絡しないの?」などと思ったり、また血液検査で分かるはずなのに、などと不思議がるのですが、コロンボさんの時代には科捜研なんていってもできることは限られてたんですね。
思えば遠くに来たもんだ。