(昭和30年代頃の私の思い出)
私は早生まれでしたので、体も小さく、小学校の同じクラスの同級生はみんな大きくて活発なお姉さんお兄さんに見えました。前の年に入院生活を経験していて、痩せておとなしい性格だったので、こぞって私が驚くような話をしてくれました。席に着くと何人もやってきて「昨日ね青木くんのお父さんと阿部くんのお父さんが道路で取っ組み合いの喧嘩をしてた!」「伊藤さんのお父さんとお母さん、夫婦喧嘩してたよ!」「昨日少し家出してね、学校の体育館のマットで寝たよ」などなどびっくりする話ばかりで目を大きくして聞いていたものです。
一番背の高いミチコちゃんと言う女の子は教壇で当時流行していた中尾ミエの「可愛いベイビー」を身振りをつけて表情たっぷりに歌っていました、とてもキュートでアメリカの女の子みたいでした。
昭和30年代後半頃はジャパニーズポップスと呼ばれたアメリカのヒット曲を日本語で歌うことが流行っていました。いろいろな歌を思い出します。
それから、バケーション、ヘイポーラ。坂本九の「上を向いて歩こう」もその頃の歌です。今は口笛をあまり聞きませんが昔の大人たちは歩きながら流行の歌を口笛で吹いていたものでした。
畠山みどりの「恋は神代の昔から」と言う歌が流行っていて掃除の時間に八百屋のようこちゃんを先頭にみんなで歌っていました。浪曲師のようないでたちで袴を履いて歌う歌手でした。♪恋はするほど艶がでる〜…熱っつい涙を流しましょ… ♪
(写真は正月の林場のしつらい:関連記事は001参照)
一昨年の6月、写真はほとんど処分してしまいました、処分前に兄に目を通してもらいましたがやはり1枚か2枚取ってあとは全部入らないと言われました。姉の分は甥っ子を通して全部渡しました。兄に言わせると…写真は全て頭の中にコピーした…との事でした、ちょっと変わった兄弟かもしれません。