斬る
新選組とか近藤勇など全く興味はなかったけど、やはり文体の好みからついつい読んでしまいますね。
それに幕末物の小説はそのころの詳しいいきさつが分かるのでついでに勉強にもなります。
学校の頃、歴史とか苦手で過去の事を覚えるとか、時代の全体を見通す力が少し弱かったせいもあり、
今になってもう少し日本の歴史を知りたいと思い、そのころの小説を読むことで理解が深まると期待して読み始めたこともあります
それと、伝記が好きなんですね。きわめて個人的な物語が。
さて、今までに土方歳三、長倉新八を読みましたが、近藤勇はどうなのかな?前の本からの印象では
単純で、成り上がり根性が段々増してきてあまり魅力的には感じていませんでしたが、武州のお百姓の育ちで、剣道道場を継ぐために養子となった近藤勇は、でもとても人柄がよく、誠実そのものだったようです。
学問が無かったので、それを持ち合わせている人を好み、参謀にするけど、裏切られて結果処分せざるを得なくなってしまいます。優しさゆえに何事にも厳しい土方歳三に引っ張られ気味の面も。
冷徹な土方歳三は新選組の嫌われ役をすべて引き受け、自分のような人間がいないと
とても新鮮組の体制を維持していけないと思っています。なので、いくら近藤勇が大事にし相談役にしたり、隊員の人望が高いメンバーでも新選組の規律を犯したら平気で切腹させてしまいます。または斬る。でも、自分が近藤勇を蹴落として局長になろうなど微塵も考えなくて、良い思いは全部近藤勇にしてもらうように持って行きます。
長倉新八は池波正太郎が新選組のメンバーの中で一番好きだと言ってますが、剣も強いし気さくで、大らかで好ましい人だったのですね。93歳?位まで唯一長生きをし、昔の思い出(メンバーの人柄や、新選組の事)を後になって沢山語っています。
何かの組織はいろんな役割の人が揃ってはじめて維持していけるのですね。
まだ途中ですが、けっこうおもしろいので一気に読めてしまいます。
つくづく私の読書は、書かれてる人に興味があるというよりそれを書いてる人の文体が好きか嫌いかで
食いついたり投げ出したりしてるな~と思いました。
コロナのおかげで、読書の楽しみを覚えました。本当にいろんなジャンルの小説があるものだなと思います。
でも、養老孟子の「バカの壁」でしたっけ?あ~いうのは難し過ぎてダメですね。ことさら難しい言い回しのような。
ちょっと前亡くなった、たちばなりゅうの「宇宙からの帰還」という本はちょっと興味がありますけど、なにしろ知の巨人と言われた人だから、やはりこの本も1ページ開いた途端、はいさようならになるような予感もしますが。
そのうち借りてはみようと思います。
哲学者の本もあまり興味ないし、五木寛之などもなんとなく哲学者っぽくて好きではないです。彼は半年以上髪を洗わないと言ってましたが、変な人ですね。
考えてみると好きでない作家さんも割合多いのかな?
でも、たまには冒険して違う作家さんの本も読んでみるのもいいのかも?時間はたっぷりあるし。
また今日も変な独り言でした。
心中の話は小説の材料として作家には魅力があるのでしょうね。日本独特の現象、などという人もいますが、そうでもないようです。愛人と共に死を選ぶケースは西洋にもあるし、親子心中こそは日本の(隣人・他人に薄情な)風土のゆえんとも言われるけれど、こういう説も十分に東西社会の比較をしての結論ではなく、多くは「印象」でものを言っているように思えます。
ただ、日本の心中の歴史はちょっと面白くて、どこで誰が書いていたかは忘れましたが、もともとは男同士の間で未来の無い八方ふさがりの関係をはかなんでのこと、なんですって。(男色が長く死罪とされて西洋と異なり、日本ではその辺の事情は別に深くは詮索されなかったから、黙って静かに二人で暮らしていればよかったのに、と私などは思いますけど。)
「心中天の網島」が人の心を揺さぶるのは、遊女も人妻も単に嫉妬し憎み合う関係ではなく、男も含めてみんな善良だからでしょう。
でも、やっぱり「死んで花実が咲くものか」だと思う。
あ、始めのお何行か消えてました。
近藤勇は人柄が良く、誠実そのものなので、隊員には人気があったようですが、最初からの仲間である同志に対して段々えらくなっていくにつれ、態度が大きく成って口の聞き方が変わってきたのに面白くないと不満を持つ者もいたようです。
池波正太郎が新鮮組にそれほど関心をもっていたとは知りませんでした。「泣いて馬謖を斬る。」どの時代にも組織にはそういう人が必要ということですね。日本もでしょうが、ドイツの政治家も度外れて仲間を庇い、屁理屈を並べて正義も何もあったものではありません。みんなだらしなくて、溶けたアイスクリームみたい。
私は岡本綺堂の捕物帖を読んでいますが、昨日読んだ御庭番・隠密の話が面白かった。これも時代は幕末です。