春一番どこ吹く風とあす弥生
今朝今年になって初めて床を離れるのが苦ではありませんでした、あ、春だなぁと、、
夜明け前ほっと目覚めて春の中
昨日旧宅の押し入れの底板が弱っていたので上張りしました。それだけ終わって帰りしな猫の額ほどの庭(猫の額とはよく言ったものだ)の小さな紅白の梅が芽を出しているのに気がついた、、葉っぱは虫に食われてスンボロ坊主なのに、ちゃんと春を知っている。
日陰でも咲いてください梅の花
厳冬を越した蕪の葉もそれらしく茎を見せて健気です
冬越した蕪の葉の春淡緑
なーんて、いつもの五七五並べ
以下メモしておいた五七五、新しいものから古いものへ、へぼ句羅列、自己嫌悪、自分用メモです
老の春色恋沙汰も余韻かな
ぬかみその樽の復活春の宴
罪人の春も好かれと空仰ぐ
餃子焼く?何でもいいの春祝い
春なのだなんと言おうと春が好い
空仰ぐ我は塵なり春を生く
ニ月末一日毎の春暖々
鍋の湯気一合の酒春の夕
ひだまりと春の緩みのぶら散歩
水ぬるむ川の流れののたりかな
蛇行する川の流れや水ぬるむ
春の明け大あくびして大笑い
続けざま大あくびして冬祓い
眠気覚めさてとどっこい春起こし
カレーうどん春をスタートどっこらしょ
なまった体を鼓舞するのも、エンジンかけるのも自分、考えたら年齢は関係ない、人間はいつだって自分自身がエンジンだ
春の暖原子炉稼働そっと礼
エアコンさんお世話になります寒い春
気楽な句作って紛らす寒い春
寒い朝白菜鍋の春キッチン
凍る春朝の呼吸のさむさかな
息寒し春のあけぼの夢の中
冬のよう春凍えさす朝寝坊
ありがたし布団の中の温き春
寒き春原子炉稼働世を回す
資本主義シュンペーターは黄泉の春
資本主義を広い見地から一生研究し続けた泉下の経済学者シュンペーター、何思う。生きていたらきっとノーベル賞を2度ぐらいもらっただろうと、素人判断をしました。素人ついでに…資本主義はまだまだ研究されつくされていないと僕は思います、欲望が世の中を回す。
ゆでたまごつるんとむけてめでたし春
ストーブで尻温めて腰伸ばす
通学路曇天の春大あくび
ぬか床の蕪しごく手の温みかな
万年も季節塗り替え春新た
天国が近しと思う春陽かな
野に満ちて虫も目覚める春陽かな
うっすらと汗ばむ春や懐かしや
春や春春ありがたし温き春
早春ぞ通り過ぎればどの春も
いくつもの季節は巡る老の春
空っぽの本棚にある春花瓶
久々にマスク外して春の道
一仕事終えてほおばる春のパン
朝日浴び春と思うぞまぶしいぞ
湯呑み柄しみじみ見つめ春寒し
さっと茹で新じゃがに塩春の酒
新じゃがに塩一振りの春と酒
さすがに新じゃがと酒は合わないだろうと思いましたが思い出とともに飲んでみたらこれが意外といけました…あはは、
石川啄木に故郷は遠くにありて思うものと歌われて、、びすこさんによると辺見庸は故郷は頭の中にあると言う、そう言われてしまったからは…
故郷は母の子宮の春の水
ときは春春夏秋冬今が旅
朧月春告げられて酒を酌む
菜の花の味噌汁の実に春覚ゆ
暦見て春に追いつく季節かな
冬のまま春着せ替えて人心地
気が付けば冬はこれまで春よ来い
何もせぬいい夜明けだと冬背伸び
冬といて後期高齢サバイバル
願わくば冬も健康生き延びる
海の鵜や都会の川の冬を飛べ
頭から布団かぶって人炬燵
着膨れの細身に感謝恵方巻
たかが豆鬼は殺さぬよそへ行け
気持ちをば映せと作句手をあぶる
慰みに俳句で遊ぶ冬小部屋
座り良き器に造花冬と居て
暇潰しよきかな俳句冬の明け
閑居して遊べや句作冬ごもり
春ですと春告げられてビルの風
春よ来い春が来たのに冬仕様
春の声しもやけの足とんと踏む
冬くぐる蕪に陽が射せ路地の奥
税金の申告寒風ときは春
春だとさどこに春ある春寒し
襟立てて手袋マスク春迎え
春くればおでん湯豆腐店じまい
待っていた名ばかりの春春は春
歳時記の春手がかりに春探し
春ですと春告げられて腹立たし
以上本当にお目汚し、誠に失礼いたしました🥺
人炬燵について一言。私の理解では、男の体温が高いのではなくて、皮下脂肪が女より薄いので内部の体温が表面により多く放散しているのです。かくて寒冷期には男は物理的に短命になります。私も体調不良のときは左を下にして勾玉のように背中を丸めて寝ています。
今日で二月もおしまい、明日からはいよいよ弥生で「春よ三月雪解けに」という昔の「満州娘」(昭和13年のヒット曲)という歌の歌詞を思い出します。歌詞は「迎春花(インチュウホウ)が咲いたなら、お嫁に行きます隣村」と続きます。この歌、今の季節に母がよく歌っていました。迎春花とは欧州ではウィンタージャスミンと呼ばれる黄色い花で、先日行った田舎でも連翹より一足先に義兄の家に咲いていました。
歳時記では既に春になっていますが、弥生というと本格的でやはり心弾むものがありますね。
寒き春原子炉稼働世を回す:いちまるさん、エライ!勇気ある発言、いや発句。原子力というのは特にインテリ層の間では悪の権化みたいに言われ、それはドイツの方がもっと顕著なので、原発の話題はみんな避けています。だけど、メルケルさんが廃止を宣言したときはまさかロシアからのエネルギー資源供給がストップするとは誰も予想しておらず、今政治家たちは大慌てしつつ、じゃあ3月まで、じゃあ今年中、なんて誤魔化している。豹変じゃなくて、漸変、いつの間にか、なし崩し、ということになるのでしょう。
越冬の蕪が登場しましたね。私もこの野菜は大好きです。なぜかスーパーで見かけることは稀なのですが、いわゆるファーマーズマーケットで地元の野菜が並んでいるところに見つけて、そこでよく買います。糠がないので糠味噌にはできません。酢の物にすることが多いですね。あと、ハムとさっと炒めてもおいしいですよ。葉っぱも少し入れます。
ぬかみその樽の復活春の宴:お呼ばれされたい。
人炬燵には笑いました。と言うのは、寒い夜には隣であっち向いて寝ている亭主の背中に足の裏をピタっとつけて温めることがあるからです。「男の人って体温が高いのよね」と母が言っていたところをみると、彼女も同じことをしていたんじゃないかなあ。
日陰に咲く梅の花で思い出したのですが、「ウグイス鳴かせたこともある」という表現がありますね。昔何かの本で初めて見たとき意味が分からず調べると、これは自らを美しい梅に譬えて、その枝に雄ウグイスが来て囀ったこともあるのよ、という、モテモテだった若い頃の自慢ですってさ。随分しょってるけど、面白いと思いません?古い梅の木に老鶯が来て渋い喉を聞かせてくれるのもいいかな。だけど老鶯は夏の季語みたい。